イスタンブルのエジプト・バザールで火事
2024年05月15日付 Hurriyet 紙


イスタンブルのエミノニュ地区にあるエジプト・バザールにおいて、123年も続くパンデリ食堂の排気口から出火した火災は屋上にまで及んだ。死者や怪我人は発生しなかったこの火災は消防隊によって短時間の間に消火された。ファーティフ地区のメフメト・エルギュン・トゥラン区長は「我々の消防隊の現場での迅速な活動によって火事は制御され、鎮火された。現在、屋根裏に煙が残っているため、その煙の排出が行われている。建築物に重大な被害はなかった。内部では人命や財産に関するレストランを除いて、エジプト・バザールにおける構造上の問題はない。」と述べた。

火災は午前10時頃にエミノニュ地区の歴史的なエジプト・バザールにある123年続くパンデリ食堂の排気口から原因不明で発生した。火の勢いが屋上に及ぶまで火災は大きくなった。火災の鎮火活動はまず、食堂の従業員によって行われた。通報を受け、現場に消防隊、救急隊、そして警察が駆けつけた。消防隊はハシゴを使い、火災を3つの区画から消火した。火災は短時間の間に消火され、煙の被害を受けた3人の食堂の従業員は救急車で手当を受けた。火災によりエジプト・バザールの正門は閉鎖された。屋上では冷却作業が行われた。

■「建築物には重大な被害はない」

ファーティフ地区のメフメト・エルギュン・トゥラン区長も現場に向かい、調査を行った。そこで会見したトゥラン区長は「エジプト・バザールの最前部に位置する老舗の食堂があります。その屋上階での排気口が火元と推定される火災が発生した。消防隊の現場での迅速な活動により、火災は制御下に置かれ、鎮火された。現在、屋根裏に煙が残っているためその煙排出が行われている。構造物に重大な被害はなかった。内部では人命や財産に関するレストランを除いて、エジプト・バザールにおける構造上の問題はない。しかし、もちろんこの種の歴史的な建築物での火災は重大である。消防隊とファーティフ区の協力によって、通行止めがここで行われたため迅速に消火活動ができた。しばらくすると、イスタンブル市、ファーティフ区、そしてバザールで働く人たちとともに、屋上階の清掃が行われる。」と述べた。

■「屋上での延焼が残る」

トゥラン区長は「もちろんエジプト・バザールの火災を聞いた頃には重大なことになりえたが、被害が軽くてよかった。神よありがとう。今、ここから学ぶべき教訓があれば、ぜひまた検討したい。死傷者はなく、建物にも大きな被害はなかった。屋上階で出火し、その下の階の食堂で被害があった。エジプトバザールに2時間後に訪れることができる。神よありがとう、いかなる問題も起こらなかった。食堂の屋上部に延焼がある。」と述べた。

■「直ちに措置が取られた」

バザールで働くフェルハト・サーレプチ氏は「私たちはバザールの中で働いています。とても煙が充満していた。誰も中に入れなかった。直ちに措置が取られました。措置が取られたので大事にならなかった。消防隊はすぐに駆けつけた。」と述べた。

■「被害者はいない」

従業員のギョルケム・オズドアン氏は「ここで勤務している時、煙臭い異臭を感じた。その方を見ると、煙が発生していた。しかし、消防隊がすぐに消火活動を行った。多くの消防隊員が来た。救急車も到着したが、思うに死傷者は発生しなかった。」と述べた。

■パンデリ食堂の歴史

ニーデ県からイスタンブルに移住したパンデリ・チョバンオール氏によって、まずエミノニュにあったチュクルハンの小さな場所で創業したパンデリ食堂は1926年に現在も位置する場所である歴史があるエジプト・バザールに移設した。

第一次世界大戦の時期に当時の知識人、政治家、ジャーナリスト、芸術家、作家たちがパンデリ食堂の常連となった。パンデリ食堂は123年もの長い歴史の中で、ムスタファ・ケマル・アタテュルクやジェラル・バヤル(トルコ共和国元大統領)、イギリスのエリザベス2世、スペインのフアン・カルロス前国王、ロバート・デ・ニーロ、トニー・カーティスなどの著名人をもてなした。

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( 翻訳者:伊藤颯汰 )
( 記事ID:57912 )