アルメニア・パシンヤン首相、「虐殺」言説で批判の的
2024年05月19日付 Hurriyet 紙
アルメニア大統領のニコール・パシニャン氏は、1915年の事件に関連して「アルメニア大虐殺」の主張を問いただして、ソビエト陣営を罰しながら、ロシア側につくその取り巻きとともに、アルメニアの野党勢力の非難の的になった。
昨日まで、ロシアの北カフカス地域における駐屯地としての位置づけにあったアルメニアが、カラバフ紛争の
のちにモスクワに背を向けたことは、アルメニア首相のニコール・パシニャン氏を再び標的にした。アルメニアが、ロシアから遠ざかることを望まない国内の野党勢力たちと、ロシア側についている既得権益層はパシニャンの4月16日の、いわゆる虐殺に関して述べたことを、取沙汰して「パシニャン氏は、最新の私たちの虐殺の言説によって我々国民の裁判に対して背信となる行為をおこなった。彼は退陣をしなければならない。」と訴え始めたのだった。
■4月の発表
パシニャン氏が、4月におこなったある談話では、1915年にオスマン帝国領土で起こった事件を、新たな視点とともにアプローチをして『1915年にアルメニア国民に対しての大変に不当な行為、災厄が発生した。この災厄について、現実の次元で被害を被った人々の名前、そして住所とともに明るみに出されなければならない。
ソビエト時代にNATOのメンバーとなるよう準備をしいていたトルコへの対抗策として1946年以来引き出されてきた、虐殺のアプローチには、真実を紡ぎだす必要がある。」と述べたのだ。(トルコは、1952年にNATOのメンバーとなった)。
■記事の見出しになり続けている
パシニャン氏の、この言葉から1か月が過ぎたにも関わらずこの問題には、熱が与えられ続けていて、毎日のようにアルメニアのニュース記事タイトルになり続けている。時には、野党国会議員の国会におけるスピーチにおいて、またある時にはソーシャルメディアで公開されるメッセージ中で「パシニャン氏は、私たちの国の裁判を裏切った。」と言われているのだ。
パシニャン氏の、アゼルバイジャンとの合意の枠内で4つの村をさらにバクーへと返還をした決定は、
エリヴァンにおける最近の抗議活動の要因となった。
■ロシアとの関係は最悪
アルメニア大統領のニコール・パシニャン氏は、4月16日におこなった談話ののちに、ロシアとアルメニア間では新たな苦い進展が巻き起こった。アルメニア政権は、ロシアが主導をして、そしてかつての旧ソ連共和国が作り上げた「集合的安全保障条約機構(CSTO)」には、財政的な貢献を行わないと宣言をしたのだ。第二の重要な進展として、アルメニアにおける二者間の合意によって作られた4つのロシア軍事基地における軍隊を、国から引き上げるように求めたのだった。このように、アルメニアではトルコとの国境地域の監視を担っている、ロシア軍基地が残されたのだった。ニコール・パシニャンは、いつかここにあるロシア軍基地も閉鎖されることも議論されるであろうと強調をした。アルメニアとアゼルバイジャン間で2024年の終わりまでに包括的な平和条約に調印をするように作業をするということにも、あらゆる機会で言及をしているパシニャン氏は、トルコに対する敵対姿勢も、一度脇においておくようにする準備ができているというメッセージを発しているのだ。
補足:
パシニャン氏は、問題となっている虐殺の追悼の日となっている4月24日におこなった発表で、「私たちは世界を、そしてまた自分自身を虐殺のプリズムから眺めているのです。世界と、いまだにその災厄がもたらした感情的なトラウマ的な関係を作り上げているのであり、そのような仕事を行っているのです。そのために、私たちは多くの場合、毎日の真実を見出すことができないでいるのですし、新たな失敗をしてしまいかねないのです。虐殺について、ただ過去の一部分としてではなく、将来を目の前に提示をしながら、政治的、そしてまた社会的な哲学の目から取り上げなければならないのです。」と述べた。
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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:57940 )