イラン大統領の死について何がわかっているか
2024年05月20日付 Cumhuriyet 紙


イランのエブラーヒーム・ライースィー大統領は、ヘリコプター事故で亡くなった。ライースィー大統領と共にホサイン・アミール・アブドッラーヒヤーン外相も事故で亡くなった。長い間、ヘリコプターの残骸にたどり着けず、事故の原因が暫く明らかにならなった。では、イランとその地域に深刻な影響を与えるとみられている「事故」について何が知られているのか。まさに5つの問題が発生している。

イラン国営放送は、ライースィー大統領とアブドッラーヒヤーン外相が搭乗していたヘリコプターの落下点にたどり着き、残骸から生存者は発見されなかったと伝えた。

■ライースィー大統領は亡くなった

イラン国営放送は、後に共有したニュースの中で、ライースィー大統領とアブドッラーヒヤーン外相が、墜落したヘリコプターで亡くなったのを認めた。

イラン国営放送は、ライースィー大統領を運んでいたヘリコプターが昨日発生した事故で助からなかったと伝えた。

■ライースィー大統領はそこで何をしていたのか

ライースィー大統領は、東アゼルバイジャン州でのダムの開所式からの帰途にあった。同大統領は、アゼルバイジャンのアリイェフ大統領とともにダムの開所式に参加した。ライースィー大統領とアリイェフ大統領は、両国間の国境で、アラス川の上、クズカレスィとフダフェリンのダムの開所式を行った。

ライースィー大統領は、開所のために行ったスピーチの中で、2つの重要なプロジェクトの開始を宣言すると述べ、「このプロジェクトは、イランとアゼルバイジャンが今後このようなとても重要な大きなプロジェクトを実現することができることの指標である。私達が集まり共に成功することをよく思わない者がいる。しかし、これらは私達にとって重要ではない。重要なのは両国、両政府、両国民にとって良いことを、一緒に実現することである。」と話した。

アリイェフ大統領も、このセレモニーがイラン・アゼルバイジャンの関係史上、美しく輝かしい1ページとして残るだろうと強調した。開所を行うプロジェクトが技術の点からとても重要で、同時に両国民、両政府がより近づくことができるだろうと述べ、次のように続けた。

「イラン・アゼルバイジャン関係は、この地域での安定の重要な条件である。もちろん、このような素晴らしいプロジェクトが、人々の福祉、雇用を創出し、そのため成功への今後の一歩となるだろう。将来、これと似たとてもたくさんの共同プロジェクトが行われると信じている。」

セレモニー後、この場所を離れたライースィー大統領のヘリコプターから昨日の13時30分頃から連絡が途絶えた。

■なぜ残骸にすぐたどりつけなかったのか

ライースィー大統領の死亡が長い間確認できなかった。イラン軍は警戒態勢に移行し、モハンメド・バクリー参謀総長は、軍隊と革命防衛隊を動員した。事故原因が不明のまま、地域の緊張は高まった。

ムフスィン・マンスーリー副大統領は、事故後の会見で「数回、ヘリコプターの搭乗者と連絡を取っており、話した。2キロメートル四方の中を探索している。」と述べた。

連絡を取っていた人々の中の一人が、乗客、他が乗員であると明らかにされた。この発表は、ライースィー大統領の生存に関する期待を強化した。アゼルバイジャンを出発したヘリコプターには、ライースィー大統領、アブドッラーヒヤーン外相、タブリースの金曜礼拝指導者のアーヤトッラー・アリー・ハースィム導師、東アゼルバイジャンのマーレク・ラフマティー州知事がいた。15時間続いた捜索活動後、ライースィー大統領一行の死亡が確認された。

(後略)

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:57948 )