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◆パレスチナ人の苦しみの歴史的記録
ムスアブ・アブートーハ氏は、その作品の文学的・ジャーナリズム的質のためだけではなく、自身とその家族が危険に晒された状況下でのガザの現実を描写した勇気に対してもピューリッツァー賞を授与された。 彼の論説は、パレスチナ人の苦しみに歴史的記録としてだけではなく、正義と人道のための叫びとしてでもあるのだ。アブートーハ氏の世界的成功は、依然として彼が政治的・個人的な課題と格闘しているとはいえ、彼や他のパレスチナ人著述家達が活動を継続するための希望を生み出した。
◆一人のパレスチナ人として
『ザ・ニューヨーカー』に寄稿されたアブートーハ氏著『パレスチナ人としての旅の苦難』は、昨年の紛争の際に故郷を離れざるを得なかったガザのパレスチナ難民としての著者の経験を個人的に印象深く記したものだ。この論説は去年のシャフリーヴァル月(西暦8月~9月)に発表され、パレスチナの人々にとっての国外渡航の課題、空港での構造的差別や、「旅行者」と「避難民」という概念の深い差異などを扱っている。
アブートーハ氏は個人的な物語や、社会観察、国際政治への批判を織り交ぜ、パレスチナ人に押し付けられた制約と追放の生活の陰惨な描写を提示している。
アブートーハ氏は渡航中に体験したいくつかの障害や差別の例を詳細に示している。ボストンでアメリカに入国しようとしたところ、彼と彼の家族はパレスチナ人であるという理由で追加の審査をされることになった。税関職員は彼らのパスポートを検査し、無線連絡の後彼らを離れた場所へ連れて行った。アブートーハ氏は取り調べをしていた職員に対して抗議し、イスラエルの渡航者にもこのような取り調べを行うのかと尋ねた。
職員は、これは「無作為抽出」だと答えたが、アブートーハ氏は、それ以前にアメリカ入国の際にそのようなことはなかったため、これは単なるランダムな手続きではないと主張した。サライェヴォの空港では、職員が彼の搭乗は可能かどうか確認するのにしばらく時間をかけたが、最終的には搭乗を許可したのであった。このような瞬間は、彼の内部で不安感や焦燥感を強め、毎回の渡航がまるで予測不可能な障害からの「逃亡」であるかのようだった。
彼は自身の経験を、アメリカ国民でありながらパレスチナのルーツを持つことで空港で取り調べを受けるハッサーンのそれになぞらえている。「あなたは自分の国でどんな仕事をしているのか」「武器を所持しているか」−ハッサーンは、パレスチナ人に対する偏見を示す質問を投げかけられることを報告している。 著者は、彼の言葉によれば国際法に違反してパレスチナの領土に住んでいるイスラエル人入植者らがビザなしでアメリカに渡航できる一方で、パレスチナ人は数多くの障害に直面している、と指摘している。
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( 翻訳者:NM )
( 記事ID:60138 )