レイにある6千年前の防御壁
2025年05月14日付 Hamshahri 紙


 ガージャール朝のファトフ・アリー・シャーの碑文の上部、またアリーの泉の北に、700年の歴史をもつ城壁がある。これの原形となった城壁は6000年前に築造されたが、アラブとモンゴルの侵攻や度重なる地震ののちに崩壊した。アレクサンドロスの第一の後継者セレウコスが一度再建したものだと言われている。

【ハムシャフリー・オンライン:ザフラー・ボランディー記者】ガージャール朝のファトフ・アリー・シャーの碑文の上部、またアリーの泉の北に、700年の歴史をもつ城壁がある。これの原形となった城壁は6000年前に築造されたが、アラブとモンゴルの侵攻や度重なる地震ののちに崩壊した。アレクサンドロスの第一の後継者セレウコスが一度再建したものだと言われている。



 研究者であり作家でもあるアリーレザー・クーロシュリーはこの城壁について、しばしば次のように述べている。「レイの城壁は、パルティア[アルサケス朝]の時代に同市の周囲を取り囲んでいた、防衛のために使用された壁である。現在、この城壁の遺構は長さ453メートルで、東西の2つの部分に分かれている。古代レイの周囲を取り囲んでいたこの城壁は、類似した多くの軍事都市の城壁に比肩するものである。この壁の背後には30メートルの堀があり、有事の際には防御のため、堀に水を張り、敵が決してレイに侵入することがないようにした。この城壁は、レイの元の城壁と同様に粘土と日干し煉瓦で造られており、支えとなる塔が複数ある」



 この歴史的遺産の保全と保護は大切な問題であり、クーロシュリー氏はこの点に言及して、以下のように述べている。「現在は、この城壁の中核となる部分しか残っておらず、未来の世代のために適切に保管し引き継ぐ策が取られていない。雨風などから守るための覆いを作ることが、この古代の遺産を保存するために実施すべき措置である」

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( 翻訳者:SK )
( 記事ID:60278 )