北朝鮮、絶望

2005年06月06日付 Sharq 紙

勝ち抜きまで残すところあと48時間である。イランはあと1得点のみを必要としている。金曜、バーレーンは日本に負けたためにワールドカップ予選勝ち抜きの可能性はかなり低くなった。

それにもかかわらず、3試合連続で勝ったイラン代表はバーレーンに1回同点になればワールドカップに出場できる。しかし、イランは3回目の勝利で大変な困難に耐えたのだ。ホームグラウンドの試合であり、最初の3試合で負けた北朝鮮が相手であるにもかかわらず、誰もが北朝鮮を容易な相手とはみなしていなかった。彼らには予選第3位を確保するチャンスが十分にあり、まだワールドカップ出場の望みがあったのだ。

北朝鮮も十分な意欲をもって、アザディスタジアムでの厳しい試合で得点をとることを考えていた。5万人の来場を許可されていたにもかかわらず〔訳注:アザディスタジアムは本来なら10万人収容だが、3月25日の日本戦で死者を出したため、FIFAから5万人に入場を制限する通達を受け、2階席を閉鎖〕、観客が2万人しかスタジアムに来なかったというイランの不利な状況も彼らの自信を増すことになった。しかしイラン代表のこの試合への準備は万端だった。

イランサッカー連盟は、過去の苦い経験を活かして精神的な面から十分に選手たちを整え、監督は適切な戦術をとって選手をフィールドへと送り出した。北朝鮮は、試合の初めは守りに入り、イランは北朝鮮の守備の中心を崩すために「忍耐」し続けた。辛抱の結果、ついにイランは前半の終わりにゴールを決めた。メフディ・マハダビキアがフリーキックをし、ヤハヤ・ゴルモハンマディがアシストをして、ラフマン・レザイーのヘディングが北朝鮮のゴールを割り、イランは目的を達成したのだ。イランは後半も「忍耐」の試合を続けた。

もちろん、攻撃より守備に重点を置いた。とはいえ、ボールを操り、追加点のチャンスを数回作った。また、セイエッド・メフマド・アラヴィが、近頃イラン代表選手でもっとも人気があるフェリドゥーン・ザンディと交代したことは、得点を維持しようとするブランコ監督の作戦の表れだった。この戦略は選手たちに充分伝わり、こうしてイランは勝ち点3を獲得し、ワールドカップ出場へまた一歩近づいた。

1時間後バーレーンがホームグラウンドで日本に負けたとき、この3点は非常に重要になった。こうしてドイツへのイランの道は開けた。試合終了時のブランコ監督の歓喜はとても魅力的だった。

しかし、治安部隊とファンの代表の争いがより魅力的な舞台を作っていた。ペルセポリスの応援団は「イラン代表激励のために尽くして30年になる。しかし治安部隊は私に圧力をかける。私がイスラエル人だとでも言うのか。」と、サッカー連盟文化委員会会長のアリープール師に言っている間、ブランコ監督は何度も報道陣の取材に応じ、いつものようにチームの言動をかばった。

「彼らは10人のメンバーで自国を守ったが、このことは我々を困らせることとなった。しかし、必要な結果を手に入れることには成功した。もちろん、まだ何も終わったわけではないし、今祝う理由もない。特に、カアビーとレザエイが2度の警告を受けたことは、バーレーン戦を厳しいものにするだろう。」

それにもかかわらず試合終了後、またも街頭で勝利の祝いが始まった。もちろん、前回よりは落ち着いた雰囲気で。その間に、第9期大統領選の候補者たちの一部がイラン代表の勝利を祝った。

モスタファー・モイーンの大統領補佐を務めるレザー・ハータミーは試合を近くで見ており、また、彼の経済委員長になるモフセン・サファーイー・ファラーハーニーはこのイラン代表の形成に重要な役割を果たした。モイーンは「ハータミー政権は強力なイラン代表に、98年のワールドカップで多くの援助をしたが、我々の本分はイラン代表を支持することである」と伝え、「ワールドカップでの強力なイラン代表の存在は、世界中のイラン人の名誉である。イラン代表は今後の試合でも人々と指導者たちの支持を受け、勝利を手にしてワールドカップに進めるよう努めなくてはならない」と言った。

アクバル・ハーシェミー・ラフサンジャーニーもワールドカップへ進む道が開けたことを祝った。が、セイエド・モハンマド・ハータミー大統領が8日水曜、チームの士気を高め、他の観客とともにいち早く勝ち抜きを祝おうとスタジアムにやって来ることが伝えられた。水曜の夜に始まる祝賀会は、木曜まで続く。我々の祝賀会が延期されることのないようにただ願っている。水曜の夜、我々の心はドイツにあるだろう。


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翻訳者:高橋靖子
記事ID:225