2006年6月18日付ハムシャフリー紙
【運動部】イラン・チームのペナルティー・エリア内の特に危険のない地点でゴルモハンマディーが犯したファールは、決勝トーナメント進出にかけた夢の終焉であり、またイラン・サッカー全体を象徴するものでもあった。すなわち、イラン・サッカーはその最も熟達したディフェンダーでさえ、サッカーの最も簡単なテクニックの一つ、つまりタックルというものをすべき時間と場所をわきまえぬサッカーなのである。
イラン・チームはメキシコ戦のときよりも、統制的な布陣でピッチに入った。ハーシェミヤーン(フォワード)を攻撃の先鋒に置き、マアダンチー(ミッドフィルダー)をイランの弱点でもある左サイドとする修正を加えた。しかしより重要だったのは、ミールザープール(ゴールキーパー)が精神的に立ち直っていたことであった。数日前(メキシコ戦での敗戦)以来さまざまなプレッシャーを受けてきたにもかかわらず、(ポルトガル戦では)2ゴールを喫したものの、彼がこの試合で、イラン・チームでもっとも活躍した人物の一人であったのも、このお陰であった。
イランの選手たちは、前半の最後の部分と後半の大部分にわたって、非常に良い試合運びをし、力の片鱗を見せた。しかし、このチームは能力を十分有しているにもかかわらず、このような大舞台に向けての調整が十分でなかったことは隠しようもなく、ポルトガルに勝利できたはずだったなどと期待することは、楽観的にすぎるだろう。たとえポルトガルが完全に試合の波に乗っていたとしても、その2ゴールのどちらも、チームの組織的な動きによるものではなく、むしろその選手たち個人技と我々のディフェンス陣の明らかなるミスによるものであったと言うことができよう。ポルトガルの2点目は、試合の流れに反し、イランがボールとフィールドの支配率で優越していた中で生まれたものだったと言ってもいいだろう。
いずれにせよ、この敗戦により、イランはワールドカップの第二ステージに駒を進める可能性はなくなり、アンゴラとの試合は形だけのものとなってしまった。
一般的に、ワールドカップの開催はどの大会であれ、各国のサッカーにとって転換点となるものだと言われている。
ワールドカップは大抵、サッカー責任者らの長期計画における目標地点であり、それが終わると、これらの計画やその関係者、さらには利用されてきた技術的な方法まで、根本から見直されることになる。それに加え、ワールドカップは、多くのサッカー・コーチ陣、選手、そして責任者らが自らの活動を終了させるときでもある。
ワールドカップ終了に伴うこのような変化は、イラン・サッカー界でも、大きなものとなることが予想される。取り立ててなんらの成果も上げることができなかったクロアチア人コーチ陣らが、イラン・サッカー界を8年間にわたり、特に疑問の声が上がることもなく、支配し続けたが、今後はおそらくイラン・サッカー界は別のテクニカル・スタッフを起用することになるだろう。
イラン・サッカー協会会長は以前から、このワールドカップを最後に、自らとそのスタッフの任期も終了する旨明言してきた。おそらくティール月(西暦の6月22日から7月22日)にも、イラン・サッカー協会の役員は新しい顔ぶれになるだろう。
またアンゴラとの試合は、代表チームの選手の世代交代ともなる。その中でももっとも関心を引くのは、ワールドカップでのイラン・チームのキャプテンのダーイー(フォワード:日本での通称ダエイ)、そしてゴルモハンマディー(ディフェンス)だ。
しかしもっと重要なことは、サッカーが単なるスポーツの一分野としての位置付けから、国全体を巻き込んだ国民的現象になりつつあるという、明るい展望が期待されることである。政府は、サッカーに対するイランの一般大衆の関心と要望とを理解し、20世紀の奇跡とも呼ばれるスポーツの発展のために、今後より一貫した計画を策定し、より相応しい注意を払うことが望まれる。
ポルトガルに喫した痛い敗北は、たとえ決勝トーナメント進出への夢の終わりだとしても、イラン・サッカーの新たな幕開けともなりうるのだ。
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翻訳者:南龍太
記事ID:2759