コラム:アラブの宗派主義と民族性 ハムシャフリー紙
2006年06月03日付 Hamshahri 紙
2006年6月3日付け ハムシャフリー紙
【モハンマドアリー・モフタディー】イラクのジャヴァード・アル・マーリキー氏による組閣と、イラン外相の同国への訪問に際し、再びアラブ諸国で「ああ、イラク人たちよ!」と嘆く声が高まり、一部メディアは、「これからのイラクにおけるアラブ諸国の役割はどうなるのか、そしてなぜアラブ世界はイラクという舞台に不在なのか?」という繰り返される問いをあらためて提起している。
同時に、イラクにおけるイランの影響力の拡大を警戒する者もいる。クウェートの有名な思想家であるアブドゥッラー・アル・ナフィースィー氏でさえ、深刻な懸念を表明し、イラクのシーア派やクルド人に対するイランの影響力と均衡する位、イラクのスンニー派への支援を急ぐようサウジアラビアに要請している。
イランの政治的な言説は決して宗派的な言説ではなく、また我々は宗派や民族でくくるつもりはない。しかしながら、そのようなくくりは新奇なものではなく、政教分離のバアス党政権の時代からすでにイラクには宗派関係が存在し、また当時の政権はまさにこの宗派関係にもとづいてイラクの人びとを処遇してきた。
アラブの政治思想は曖昧模糊とした概念を含み、アラブ民族は、まるでアラブであることがスンニー派のイスラームであり、シーア派教徒はアラブ人たり得ないか、あるいは亜流のアラブ人と言わんばかりの振る舞いをしているというのが実情だ。それゆえ、シーア派三日月地帯の誕生や、アラブ諸国からのイラクの離脱、そしてイラクにおけるイランの影響力の増加に対する警戒感はすべて、彼らアラブ人が、民主主義を鼓吹する一方でアラブの国でシーア派教徒がマジョリティーになって権力を握り、同時にスンニー派、クルド人、トルクメン人、そしてキリスト教徒などのマイノリティーも、自らの勢力を得ようとしていることが許せないということに起因している。
彼らはこの状況をイラクからのアラブ民族の排除と見ている。おそらく同じ理由で、サッダーム・フセインが、クルド人やシーア派教徒の大虐殺を行ったとき、アラブ諸国からは何ら抗議の声が上がらなかったのだろう。一方イランは、イラクで虐げられていた人びとや保護を求めていた人びとすべてに対し、宗教や民族の別なく、門戸を開いていた。
興味深いことは、いまだアラブの偏見に満ちた一部の団体が、その声明の中でアラブ民族をイラクから排除するためにイランがアメリカと手を組んだと非難しているということだ――アメリカ軍がイラク占領のために、イランではなく、アラブ諸国を通過し、またアメリカの軍用機がバグダード攻撃のためにイランではなくアラブ諸国の基地から飛び立ったというのに!
イラクにおけるイランの影響力の拡大は、歴史と地政学上の不可避の要因によるもので、またイスラームと人類の原理と価値に基づいている。今、アラブの思想家たちは自らの考えを改め、アメリカとイスラエルの謀略からこの地域を救済するため、地域協力の必要性について考え、これ以上、民族や宗派という枠組みに囚われるべきでないという時期にきているのだ。
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翻訳者:南 龍太
記事ID:2627