レバノン北部で国軍とファタハ・アル=イスラームが衝突 東ベイルートで爆発
2007年05月21日付 Al-Nahar 紙
■ レバノン軍兵士23人が殉職、「ファタハ・アル=イスラーム」からは幹部含む15人が死亡
■ レバノン北部で最も激しいテロ攻撃 夜中のアシュラフィーヤ地区でもまた爆発
2007年05月21日付アル=ナハール紙(レバノン)HP1面
23人にのぼる殉職という多大な人的被害を受けつつレバノン軍は昨夜、最も危険で大規模で、かつ用意周到で計画的に実行されたテロ攻撃を鎮圧した。攻撃は「ファタハ・アル=イスラーム」組織によるもので、レバノン北部の軍の駐屯地数ヶ所に向けて行われ、レバノン軍が同組織の計画に対して反撃に出られないようにトリポリの民間人を人間の盾にした。
トリポリとナフル・アル=バーリド難民キャンプ、コーラ、カラムーンで起こった流血の事態によって、一連のテロ攻撃が冷酷な計画に基づくものであることや、大量の武器や弾薬を所有する原理主義組織がトリポリ中心部にまで浸透しているというきわめて危険な事態が明らかになった。またレバノン軍と治安部隊を戦闘に引きずり込もうとする奇襲の計画が実行されたということも、ナフル・アル=バーリド難民キャンプの入り口にある軍の駐屯地に同時攻撃が行われ、カラムーンの高速道路に武装グループが展開し、戦闘発生の中心地域の遠くで乗用車に乗って移動していた兵士が狙われたことから明らかである。
北部での戦闘が夜になって収束したかと思うと、テロの魔の手はアシュラフィーヤ地区に忍び込んだ。ショッピングモール「ABC」付近が攻撃され、犠牲者1人が出て民間人およそ11人がけがをした。
アシュラフィーヤでの爆発は2004年末から2005年にかけての一連の暗殺(および暗殺未遂)事件に伴って発生した各地での爆破事件を想起させるものであった。また北部での戦闘は、2000年に(北部の)ディンニーヤで国軍が原理主義勢力と衝突して以来最悪の事態である。
(後略)
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翻訳者:鳥居洋介
記事ID:10979