『被り物を被ってのサッカー』の上映を待つベルリン

2007年06月07日付 E'temad-e Melli 紙
テヘランで行われた第一試合の様子
テヘランで行われた第一試合の様子
【エッテマーデ・メッリー:アミール・アリーザーデ】試合を断るという、ドイツの試合開催者にEメールで届いたイランサッカー連盟からの返答は、彼らにショックを与えた。

先週金曜日の晩、ベルリン市クロイツベルク地区にあるカッツバッハスタジアムで、イランの女子サッカーナショナルチームとドイツのトルコ人アマチュアクラブチームとの間で異例の親善試合が行われる予定だった。これは1年前にテヘランのアーラーラートスタジアムで行われた第一試合のアウェー戦にあたる第二試合である。

第一試合は、女性の観客やイラン人記者が観戦するなか、イラン女子サッカーナショナルチームにとって革命後初の公式戦だったことから、ドイツにおいてもイランにおいてもかなりの反響があった。第一試合は勝者がなく、2対2の結果で終わった。

しかし第二試合は、イランサッカー連盟と在ベルリンイラン大使館のスポークスマンの発表によると、単に「技術的な理由」で「延期」されたのであり、取り消しになったわけではないという。イラン女子サッカーの責任者らはいまだこう強調しているが、ドイツのマスコミやベルリンの試合開催者らはこれを信じず、本当の理由を探ったうえで、本当の理由は、イラン政府がベルリンでの政治的抗議行動を懸念しているからだとしている。

ベルリン・モルゲンポスト紙はこれについて、ベルリン警察のことばを引用し、次のように報道した。「約60人の集団が試合前にカッツバッハスタジアム前で「イランの強制的なヘジャーブ」に反対するデモを起こそうとしていた。」

(中略)

ドイツの情報筋は「先週金曜日の試合のために2000枚のチケットが販売済みだったが、イラン側から試合を断る旨の返答が来たことをうけ、スポンサー、治安部隊、及びスタジアム側と調整していたことをはじめ、全てがふいになった。」と報道した。

ドイツのトルコ人女子サッカーチームの創設者で選手を兼ねるマルローネ・アーセマーンさんや、第二試合の開催者らは先週次のように語った。「イラン側の決定は政治的な決定だったかもしれないし、運営上の決定だったのかもしれない。我々にはわからない。ただ不愉快だ。」

一方、イランサッカー連盟のハディージェ・セパンジー会長代理は、この試合は延期されただけだという。彼女は本紙との談話で、両者が3試合の日程について合意に達していたものの、そのうちの1日であるホルダード13日〔西暦2007年6月3日〕のみ、様々な理由で女子ナショナルチームがドイツに行けなかったことを認めた。彼女曰く、「うちの選手の大部分はテストがあったのです。チームの大半が学生ですから。その上、我々は選手が負傷しても困らないように、あと10人選手を追加したかったのですが、彼女らのビザの発行が間に合わなかったのです。」

セパンジー会長代理は、チームが渡独しなかった理由が政治的なものであることを否定し、「これらの問題は我々に関係ありません。我々は政治的な駆け引きはしません。」と述べる。

(中略)

セパンジー会長代理は、第二試合が行われることを大いに確信している。「この試合は100パーセント開催されるでしょう。我々は全ての手続きを済ませて、できるだけ早く渡航日を決めることを望んでいます。」

ドイツ・プレスの報道によると、ベルリン市議会の緑の党の議員らも、この親善試合の開催に力を貸すよう、社会民主党のクラウス・ヴォーベレイト・ベルリン市長にプレッシャーをかけたという。

この試合のアイディアがまとまったのは西暦2005年2月。ベルリンで映画を製作している26歳の学生、マルローネ・アーセマーンが、ドイツ在住のイラン人映画監督、アーヤト・ナジャフィーとともにこの試合を企画した。

彼女は自分のチームを描いた3分映画『プレーするしか道はない』でベルリン学生映画祭に参加し、イランの女子サッカーについてのショートフィルムを作ったナジャフィーとともに、早速、この親善試合を開催することと、この試合についての映画『被り物を被ってのサッカー(football under cover)』を製作することを計画した。この映画は9月で完結するはずだった。だが今、この2人の映画製作者は、第二試合の様々なシーンを自分たちの映画に加えることができるかもしれない。


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翻訳者:渡井さぎり
記事ID:11096