アメリカ大使館占拠事件28周年記念コラム1:「われわれは責任を負わねばならない」(マアスーメ・エブテカール)

2007年11月04日付 E'temad-e Melli 紙
 マアスーメ・エブテカール

 今日、米大使館員を人質にとった「スパイの巣窟」〔旧在イラン米大使館のこと〕占拠事件をめぐって議論する際、故アリー・シャリーアティー博士の次のような有名な言葉を想起することが重要だろう。「父よ、母よ、私たちは責任を負わねばならない」。

 われわれは責任を負わねばならない。なぜなら、われわれは〔米大使館を占拠した〕「イマーム〔・ホメイニー〕の路線を支持するムスリム学生」のメッセージを、あの大事件を用意し惹起させた状況を、それを決断させた〔当時の〕考え方を、今の世代の人々に語り、説明することを怠ってきたからである。

 もちろん、その代わりとして、決まり文句のようなスローガンや一方的な意見ばかりが、この間流通してきた。しかしこの種のスローガンや意見が内外の若く、好奇心旺盛な人々の疑問に満足に応えるものではないということに、まったく気付いていない。

 「イマームの路線を支持するムスリム学生たち」は自らの時代認識に基づいて、当時の大学の開かれた状況を認識した上で、単なる一学生としての立場を越える使命感をもった、開明的な学生たちの集団だった。彼らは、強力な治安・国防組織の空白によって国の独立がアメリカの深刻な脅威にさらされていた状況の中で、もう一つの「モルダード月28日」〔CIAによるモサッデグ政権転覆クーデターが起きた1953年8月19日を指す〕を生みかねない状況の中で、イマーム・ホメイニーの懸念〔を共有する形で〕、革命が掲げた独立不羈の精神に基づき、公明正大かつ誠実な意図から、このような行動を起こしたのであった。

 当初、米大使館の占拠は3〜4日を越えて行われる予定のものではなかった。ただ、世界のほとんどの国に対して経済的、政治的、さらに文化的な次元での支配力と影響力を見せつけていた超大国に対して、「このイランは、かつてのイランではない」ということを、かつての状況を回復するべく国民に対して陰謀を図ることなどできないということを、警告するつもりだった。

 学生らが米大使館を占拠した時代、アメリカと東側の超大国〔旧ソ連〕以外に力の源泉となりうるような存在を想像することなど、誰にもできなかった。抑圧されし諸国民のために、状況を変えることができるなどということは、認めがたいことだった。学生らはこのような状況に対する認識の上に、米大使館を占拠するという行動に出たのである。それは国民の歓呼に迎えられ、イマーム・ホメイニーもそれを「第二の革命」と呼んだが、他方でそれなりの代償を伴った。

 学生らが問われているのは、何故彼らの行動がもたらした代償について、きちんと語ろうとしないのか、ということである。まさに言われている通り、この事件には他のあらゆる大変革と同様に、代償が伴ったのである。しかし、イランに対するアメリカの影響力を削ぎ、独立を固守し、イラン国民自らへの自信〔を取り戻し〕、イマームの言を借りれば、アメリカという偶像を打ち壊したことは、否定のできない偉大なる成果であり、代償よりも利益の方がはるかに大きかったといえるだろう。

 もちろん、このような事件を起こさなければいかなる状況が国民にもたらされ得たのか、経験したわけではない以上、上記の事柄について今日証明することは容易いことではないかも知れない。しかしイラクやアフガニスタンといった国々が辿った運命を一瞥することで、もしあの出来事が起こらなければ、今日われわれがどのような状況に立っていたかを想像することはできるはずだ。

 あの事件は、〔イランの歴史の〕転換点となった出来事であり、それを再演することなど想像することもできない。言葉を換えるならば、アメリカのスパイの巣窟を占拠したことは一つの例外的な出来事であり、再び繰り返すことは不可能である。しかしその一方でこの事件には多くの教訓が存在するのであり、それを忘れてはならない。拙著『占拠』において、私はこの問題のさまざまな側面を、そして当時の状況を可能な限り明らかにしようと努めた。かつての記憶が、今日の一部の疑問に対する答えとなるかも知れない。



訳注:マアスーメ・エブテカールは米大使館占拠事件当時、アメリカ帰りの女子大学生で、英語が堪能なことからスポークス・パーソン役を務めた。彼女はその後、急進改革派政党イラン・イスラーム参加戦線の党員となり、前ハータミー政権では副大統領兼環境庁長官として活躍した。2006年の地方議会選挙に出馬し、現在テヘラン市議会議員を務める。本文にある彼女の著書『占拠』とは、Massoumeh Ebtekar, Takeover in Tehran: The inside story of the 1979 U. S. Embassy capture, Vancouver: Talon Books, 2000のことで、本書はその後Taskhir(占拠)としてエッテラーアート社よりペルシア語訳が出版されている。


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翻訳者:斎藤正道
記事ID:12401