モタッハリーの遺産:ゴラームアリー・ハッダード=アーデル(1)

2008年04月28日付 Jam-e Jam 紙

※以下の論説は、5月1日のモタッハリー殉教記念日に合わせる形で、2005年に国会議長のハッダード=アーデル氏が行った講演を収録したものである。

 60年の生涯のうち、およそ50年間を、この地に公正なイスラーム政府を樹立することに費やした人物が、革命の勝利からたったの80日間しかその勝利を体験できなかったことに、深い悲しみを覚えざるを得ない。

 さて今日、モタッハリー氏が残した遺産に注目してみたいと思う。モタッハリーは知識と行動、理性的思考と信仰を総合し、学問と政治において誠実さと勇敢さを兼ね備えた人物であり、彼のような人物は他にそう見つからない。

 まず、モタッハリーが残した遺産とはなにかを問わねばならない。確かに、彼の貴重な著作の数々は、私たちに残された重要な遺産である。彼の数々の演説には、教わるところが多い。彼の思い出は、私たちに道を切り拓いてくれるものであり、実に爽快だ。

 しかし、モタッハリーの遺産はこれで全てではない。彼が残したものとは、何よりも彼が築いた永久不変の学問的方法論なのである。

モタッハリーの方法

 モタッハリーの方法論の重要性を説明するためには、彼が今から30年前に生きていた人物であり、彼の作品は40〜50年前に関わるものであるということを理解する必要がある。世界は急速に変化しており、私たちが今日抱える問題は、もはや30年前のそれとは異なっている。

 今回の講演は、殉教者モタッハリーの著作の価値を減じさせることを意図したものではない。そうではなく、当時取り沙汰されていた問題を研究し、それに対処する際にモタッハリーが用いた方法を、私たちは未来へ向けてのかがり火とすべきであるということに、注意を喚起することを目的としている。

マルクス主義の言説

 30年前の世の中、つまりモタッハリーが勇敢に筆を手にし、言葉の剣で真理と精神性〔※宗教など、形而上学的な精神の領域のこと〕を守っていた時代とは、どんな世の中だったろうか。30年前のイランを支配していた基本的な言説あるいは議論とは、マルクス主義であった。

 50年前も同様だった。モタッハリーがアッラーメ・タバータバーイーと共に『哲学原理とリアリズムの方法』を著した当時、〔モタッハリーなどの宗教的知識人が直面していた〕最も差し迫った責務とは、マルクス主義からイスラームを守ることであった。

つづく‥‥


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翻訳者:阿部文美
記事ID:13826