地域や時代にかかわらず、宗教と感情は明らかに結びついている。しかし問題は、感情は理性に従うべきなのか、それとも理性は感情のうねりの中で押しつぶされ忘却されるべきものなのか、というところにある。これは極めて重要な問題である。
モタッハリーは感情豊かな人物で、神秘主義的な精神や敬虔な心を持っていた。彼は〔イスラーム教徒の義務である一日5回の礼拝とは別に自発的に行なう〕深夜の礼拝を行なう人で、青年期の初めから決して欠かさなかったほどだ。
彼は大学で教鞭をとる立場であるにも関わらず、自ら説教段に上って預言者一族の苦難を唱え、イマームの殉教物語を語り、涙を流した。このような状況は今では驚くに値することではないが、40年前の大学の雰囲気においては、勇気を要することだった。
モタッハリーは情熱的な人物だったが、理性を感情の支配者に位置づけることで、自身の中においても、宗教社会においても感情を理性の支配下におくことを求めたのだ。そして、感情は宗教の基礎に奉仕するべきだと信じていた。
2.迷信・歪曲との対決
迷信や歪曲へのモタッハリーの対決姿勢は明らかである。
彼が〔イマーム・ホセインとその一族郎党の殉教物語である〕アーシュラーの出来事をめぐる歪曲について語った言葉は、このような理性的な視線によるものである。〔イマーム・ホセインの娘ファーテメとイマーム・ハサンの息子ガーセムが一夜限りの契りを結び、カルバラーで果てたとされる〕ガーセムの結婚物語をでっちあげることで、感情を大いに刺激することは可能である。しかし真実とは、理性の判断に服するべきものだ。殉教者モタッハリーは、迷信や誤った伝統と闘っていたのである。
彼が勇敢に、
イスラームにおける女性の権利を擁護したことは、まさにこのような理性的視線から生じたものだ。モタッハリーの著作の一部は、女性に関する問題によって構成されている。殉教者モタッハリーが『ヘジャーブ問題』という本を書いた当時、イスラームのヘジャーブについて意見を表明することは、非常に勇気の要ることだった。
50年代〔西暦でほぼ1970年代〕、彼の演説会から一緒にモタッハリー先生の家の方へ向かっていたとき――このとき私は運転手を務めていたのだが――、先生に次のような話をした。テヘラン南部にある私たちの地区のモスクの、とある人物が説教段の上で、『ヘジャーブ問題』でのあなたの意見について誹謗中傷している、と。
師はとても冷静に、自身に課せられた重要な義務を自覚している善良な人のように、私に返答した。私は師について著した回顧録に、この返答を書き留めた。要するに、誤った伝統との闘いは勇気の要るものであり、彼はこの勇気を理性の助けによって確保していたのである。
3.イジュティハード問題へのこだわり
モタッハリーがイジュティハード〔=コーランなどの法源からイスラーム法を演繹すること〕問題にこだわり続けたということも、彼の理性的洞察に起因している。
彼の著作の中で大きな部分を占めている、イスラームの信仰を理性的な観点から説明することへの絶え間ない努力も、このような理性的な洞察より生じたものである。モタッハリーは『哲学原理とリアリズムの方法』『神の正義』『唯物論に傾倒する原因』などの著作の中で、イスラームの正しさを論理の天秤にかけて証明しようとしている。
今日の私の演説の中で私が言いたいのは、世俗主義もしくは現世主義〔に関するモタッハリー〕の重要な言説に現れている理性的な洞察の影響を指摘することなのである。