政府社会基盤委員会、アンザリー国際湿地帯内部を通る道路建設にゴーサイン
2008年06月17日付 E'temad-e Melli 紙
【モジュガーン・ジャムシーディー】ついに、以前から予想されていたように、政府社会基盤委員会はアンザリー国際湿地帯の内部に道路を建設することに同意した。
道路運輸省の提示した案に対して、政府社会基盤委員会は今回、疑問のある同意を与えたわけだが、その一方で、環境庁はほんの500m道路の距離を長くするだけで、道路運輸省に実質上さほどの費用負担をかけずに済む案を提示していた。しかし、〔野生生物にとって〕最も安全で手つかずの場所であるアンザリー国際湿地帯の中心部を標的とした道路運輸省案が政府内で了承されたことで、アンザリー湿原北部の約300ヘクタール(3000キロメートル四方)の土地は干上がり、消滅することが危惧されている。
世界では湿地帯1ヘクタールごとに2万2千ドルの価値があるとされていることを考えれば、道路開通の初年度だけで、実に590億トマーン〔約70億円〕もの損害が同湿原に及ぶ計算であり、このような損害はその何倍もの費用を用いても、取り返しのつかないものなのである。
このような事情にもかかわらず、そして科学者や大学関係者、各環境団体、ギーラーン州環境局などからの反対意見、さらには道路運輸省案は専門的な検討を経たものではないとする全国査察機構の警告にもかかわらず、政府社会基盤委員会はなおも、湿原内部を貫通する道路の建設と〔それにともなう〕3000キロメートル四方の湿原の消滅を支持したのである。
全長16キロメートルのアンザリー道路建設事業は、1377年(西暦1998/9年)に始まった。しかし、このうち3.3キロメートルは湿原内部を通過する予定となっており、1379年(西暦2000/1年)、同事業は環境庁の反対により中止される。同年、環境庁はこの問題に強く反対する一方、道路運輸省を裁判所に訴え、その結果ついに政府は、1382年(西暦2003/ 4年)、国家的な事業として進めていたアンザリー道を湿原内部ではなく、その外側に建設することを受け入れた。そして、その年のティール月11日(7月2日)、環境庁が提示していた解決案に従うことが閣議決定された。
〔中略〕
しかし残念なことに、それから数年が経っても、この決定は道路運輸省によって実施されないままとなっていた。そして1385年エスファンド月13日〔2007年3月4日〕、マフムード・アフマディーネジャード大統領がギーラーン州を訪問した際、同地で開かれた閣議でアンザリー湿原を標的とするような決定がなされたのである。それはアンザリー道建設プロジェクトの当初案の速やかな実施を求める内容で、かつて1382年〔2003/4年〕に閣議決定された内容と完全に矛盾するものだった。
〔後略〕
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翻訳者:黒野あゆみ
記事ID:14160