■ ハリーリー議員の後押しと、後退と獲得のバランスにより「緊急帝王切開」
■ スレイマーン大統領時代の初代内閣は国会の縮図、あらゆる矛盾が集積
2008年07月12日付アル=ナハール紙(レバノン)HP1面
根深い対立によって崩壊寸前に陥ったドーハ合意が5月21日に成立する直前の最後の瞬間と同様の光景が53日後に繰り返され、レバノン挙国一致内閣は「緊急帝王切開」によって誕生した。
しかし、ミシェル・スレイマーン大統領の選出から48日後、フアード・アル=セニョーラ首相への組閣委任から45日後に実現したスレイマーン体制下の初代内閣の誕生における顕著で重要な違いは、挙国一致内閣、或いはセニョーラ首相が言うところの「全レバノン内閣」が、国内の2つの要因の後押しによって誕生したことである。それは先ず、スレイマーン大統領が、果てしない組閣危機という重荷を背負ってパリに出発する事態を避けるために、自ら大きな圧力を行使したということである。2つ目は、「ムスタクバル・ブロック」代表であるサアド・アル=ハリーリー議員がセニョーラ首相に対して決定的な瞬間に、シリア民族社会党のアリー・カーンスー前党首の閣僚任命拒否を撤回するよう希望を表明し、「我々ムスタクバル潮流にとって非常に微妙なこの段階において、新大統領体制の出発に利益となるよう」この状況に「責任をとる」ことを求めたということである。
新内閣における閣僚ポストの政治的立場、所属政党、宗派による配分は、ドーハ合意へ到るここ2年間にレバノンで見られた激しい分裂と衝突を反映するものになった。そのため新内閣は、30人という閣僚の数においては従来の内閣と同じでありながら、初めて国会における勢力関係の縮図のような構成になり、立場の異なる政治勢力が含まれるだけでなく、ザハレ出身の2閣僚や、首相とアリー・カーンスー国務相のように、個人的に対立する閣僚までも含むかたちとなった。
(後略)
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翻訳者:梅原春奈
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