【社会部:キャターユーン・メスリー】イスラーム神学校や大学の様々な研究グループが、悪魔崇拝などの破壊的思想運動のイランへの流入について警告を発してしばらくになる。しかし、この手の思想集団に対抗するための統一的な情報提供体制はいまだ整備されておらず、彼らの影響やシンボル・マークがやすやすと国内で増殖し続けているというのが現状だ。そしてさらに残念なことに、多くの若者が知らず知らずのうちに、意図せずして悪魔崇拝的な思想内容に支配されているのである。
モーニングスター〔明けの明星〕、ペンタグラム〔☆〕、逆十字、鉤十字、まんじ〔卍〕、兵士〔?〕、666〔獣の数字〕、コウモリ、猛獣のマスク、ヌーディスト〔?〕などのシンボル・マークが最近、人目を引く色や形の指輪やネックレス、アームバンド、シャツ、ズボン、靴、時計に用いられ、若者たちを引き寄せている。
恐らくこれらの小物や服を製造しているイラン人業者も、これらのシンボル・マークが何を意味しているのか知らないのだろう。うわべの美しさばかりが過度に強調され、西洋的なデザインが模倣されているがために、これらの商品はいまイランのアクセサリー・服飾市場で繁茂している。しかし、こういったシンボル・マークに対する正しい情報提供が行われているとは、残念ながら言えないというのが現状である。
悪魔崇拝とは、すなわち悪魔への崇拝!
悪魔崇拝(サタニズム)とは、単なる悪魔への崇拝・信仰ではない。むしろ、それ自身一つの思想的哲学とも言えるものであり、それ独自の歴史を有している。専門家によると、悪魔崇拝は最初イギリスで生まれたという。それも、同国で魔術師たちが多かったことに、その原因があったとされる。
今日悪魔崇拝者たちが信じるところによれば、悪魔とはどの人間にも生来存在するものであり、肉体的・性的快楽によって、それを極限にまで高めるべきだという。研究者のエスマーイール・シャフィーイー=サルヴェスターニー氏は次のように指摘する。「人類が悪魔崇拝を受け入れてすでに400年になるが、その原因としてテクノロジーの過密に対する疲弊、宗教的教義の欠如、西洋の歴史が終焉を迎えつつあるという感覚、そして宗教と精神性の〔復興を求める〕鐘が鳴り響いていること、などが挙げられる」。
アメリカのアントン・ラヴェイという人物は、1966年に悪魔崇拝という思想に哲学的な装いを施し、悪魔教会を設立して、自ら地上の支配者を名乗り、多くの信者を獲得していった。しかしこの思想集団がなぜ自らの活動をこれほどまでに拡大できたのかという疑問をめぐっては、宗教の専門家らの間でも様々な意見がある。
シャリーフ大学イスラーム研究所のハミード・レザー・マザーヘリー=セイフ所長は、このことについて次のように話す。
悪魔主義は、全人類の存在そのものの中に、根を宿している。われわれは罪が犯されたことを聞くと嫌悪感を抱くものだが、しかし時に心の奥底で〔罪が犯されることへの〕願望が生じることもある。これは内なる悪魔が活動していることの表れだ。
また〔悪魔崇拝へと〕傾倒していくもう一つの要因として、悪魔崇拝的なシンボル・マークの使用を挙げることができる。これらのシンボル・マークは容易に、大衆文化の中に入り込み、〔人々を〕誘惑しながら社会に広がっていく。
また、悪魔が力の権化として語られ、〔現世的な〕成功と結びつけられやすいという要因もある。もちろん、もう一つの重要な要因として、〔現状を〕批判したい、抗議したいという若者たち〔特有〕の欲求というものもある。
イランにおける悪魔崇拝
恐らく、治安維持軍総司令官前代理の発言の中に、悪魔崇拝に対して我が国の体制関係者たちが示したもっとも真摯なスタンスを見ることができるであろう。ホセイン・ゾルファガーリー准将は数ヶ月前、50もの悪魔崇拝の集団がイランに入り込んでいることを明らかにした上で、これらの集団はこれまでに200タイトル以上の〔悪魔崇拝に関わる〕書籍を国内で翻訳・出版し、流通させていると指摘している。
同准将はこれらの思想集団に共通の特徴として、正統的宗教からの逸脱、偽りの約束、そして性的悪用〔=虐待ないしは放縦〕などを挙げ、「これらの集団はラテン語の書籍を所有し、公園や娯楽施設などに集まっては、時事問題や思想的問題などについて市民と対話・討論を行っている」と述べる。
同准将はその上で、メディアや家庭に対し、これらの集団が〔若者たちの間に惹起させる〕思想的疑念に対して、もっと注意を払うよう呼びかけている。
イランにおける悪魔崇拝者たちの活動手法
最近になって、アーザード大学政治組合連合総書記は大学内に無神論的な思想集団が蔓延しつつあることを明らかにし、さらに最高指導者大学内代理人事務所の文化担当副所長も、高等教育機関内で悪魔崇拝的なプログラムが実践されていることに懸念を表明している。しかしながら、この思想集団に対して十分な認識が行き渡っているとは言い難いのが現状である。
近年、悪魔崇拝集団はインターネット・サイトやブログなどを数多く立ち上げては、自らの思想やシンボル・マークの普及を企てている。悪魔崇拝集団は会員条件の一つとして、コカインやハッシッシ、エックスなどの麻薬に手を染めることを求めている。これらの集団の思想的理念を一瞥しても分かるように、それが標的にしているのは、まさに人間の人間性に他ならない。
ハミード・レザー・マザーヘリー=セイフ氏はこのことについて、次のように説明する。「悪魔信仰では、虚実が入り交じっている。悪魔イデオロギーには正しい議論もあるため、今後も生き残り〔自らの理念を〕実現させていく可能性がある。もちろんその一方で、悪魔イデオロギーは偽りの思想、暴力、非人間的な欲望と行動を実践していることも事実だ」。
同氏によれば、悪魔崇拝者たちは通常、「厳格」よりも「寛容」〔=放縦〕を、また「血の復讐」や「責任者への責任」〔※悪魔教会にとって「サタン」が象徴するものの一つ。弱者への配慮ではなく、強者への責任を説く〕、「肉体的・精神的快楽」などを重視する傾向にあるという。
実際に見られるように、悪魔崇拝者たちはときに正しい思想的理念を表明することがあり、そのことが聴衆を引きつける要因となっている。しかし、彼らの真の目的は別のところにある。
国家刑事警察代行のアフマド・モハンマディーファル准将も、イランにおける悪魔崇拝の拡大は、軟弱な倫理的・宗教的価値観しかもたぬ人々の間でより顕著だと指摘している。
総体的に見れば、悪魔崇拝者たちは世界中で性的快楽や暴力、もっとも悲惨な形での他者へのサディスト的行為に手を染めている。彼らはこれらの行為によって、精神的高揚へと導かれるのである。
誰が悪魔崇拝に対応すべきか
宗教学を専門とするマザーヘリー=セイフ氏は、〔悪魔崇拝と闘う〕もっとも良い方法は〔若者たちに〕確かな知識を与えることだという。もし学生が、自らの能力がどのように悪用されようとしているか、悪魔崇拝の教宣員たちが人々を羊のようにかしずかせ、思想的・肉体的能力を弄ぼうとしているかを知れば、〔悪魔崇拝者に〕我慢できなくなるはずだというわけだ。
我が国ではこの問題についての情報提供が極めて限られているのはなぜかとの問いに、マザーヘリー=セイフ氏は次のように答える。「誰が情報提供の任を担えばよいというのか。実際、この責任を負うべき立場にいる人は、この問題について何も知らないのだ。まさに文化問題の責任者たちの《自称専門家》という妄想の大いなる弊害が、良質な専門家の育成を妨げ、また体制関係者も効果的な施策を提示することができずにいる原因となっているのだ」。
同氏によれば、数ヶ月前《大衆文化評議会》で悪魔崇拝に関する議論が行われたものの、この問題に関する知識が十分なく、一種の社会的逸脱という程度の認識しかなかったために、同問題は《新たな精神的問題》という範疇から外されてしまったという。しかしながら、もし抑圧諸国による《文化の一極支配》計画が成功してしまえば、そう遠くない将来、悪魔崇拝は多くの人民にとって信仰の対象になってしまう可能性もあるのだ。
いずれにせよ、我が国ではいまだ、悪魔崇拝のごとき新種の無神論的思想集団に対する正しい認識がいまだ不足しているのが現状である。しかしながら、この集団は我が国にも確実に侵入しており、会員の獲得にも乗り出しているのだ。
マザーヘリー=セイフ氏は、まず文化行政を担う諸々の機関に対して統一的な施策を提示するための対策本部を定めるべきだと提言する。対策本部の役割は国家青年庁ないしは文化イスラーム指導省大衆文化評議会といった機関が担い、その上でメディア、特に国営メディアは自らの専門的職務を遂行するべきだという。もちろん、このことについては研究予算を〔ふんだんに〕使うことや、他の機関との調整を十分行うことが重要だ。もう一点、治安機関は専門家らに手持ちの情報をきちんと提供すべきだ。別の言い方をすれば、政府機関と専門家らの間にあるミゾを埋めることが必要なのだ。
悪魔崇拝者たちは望むと望まざるとに関わらず、もっとも毒性の強いスローガンや思想を我が国にもたらしている。このような集団の数は、イランでは他の諸国に比べて極めて少ないとはいえ、内務省のホッジャトッラー・エイユービー社会問題担当次官の言葉を借りれば、思想的領域においては受け身的な対応よりも積極的な施策が求められるのである。