イラン、イスラーム・スポーツ大会の開催国としての権利を失う:ペルシア湾呼称問題が背景
2010年01月18日付 Mardomsalari 紙
イスラーム諸国連帯連盟(ISSF)実行委員会は特別会合を開き、第二回イスラーム・スポーツ大会のホスト国としての権利を我が国から剥奪することを決めた。我が国の代表が、ペルシア湾という名称を大会関連の公式文書に記載することを、強く主張したことが原因。
メフル通信の報道によると、イラン側代表とISSF関係者らとの間で行われたこの特別会合は、土曜日の夜、リヤドにあるサウジアラビア国家オリンピック委員会の事務所で開かれ、イランが第二回「イスラーム諸国連帯スポーツ大会」の開催国となる権利が取り消されるという結果となった。
第二回イスラーム諸国連帯スポーツ大会実行委員会書記のシャーフロフ・シャフナーズィー氏とともに、国家オリンピック委員会委員長、及び同書記のモハンマド・アリーアーバーディー氏、及びバフラーム・アフシャールザーデ氏が出席したこの会合では、まずISSF関係者から、インフラやスポーツ施設、設備、及び人員などあらゆる点についての視察報告がなされ、インフラならびに人員の点からイランが同大会の開催国となるのに必要な条件を満たしていることが確認された。
にもかかわらず、ペルシア湾の名称を大会メダルなどに記載することにこだわるイラン側代表と、この名称の削除を要求するアラブ諸国、さらにはISSFとの間で対立が生じ、ついにイランが第二回イスラーム諸国連帯スポーツ大会の開催国となる資格が取り消されるという事態に発展した。
第二回イスラーム諸国連帯スポーツ大会のホスト国の最終的状況を明確化させることを目的に開かれた今回の特別会合では、・A型インフルエンザの監視・抑制に向けたイラン側の取り組みが明確ではないこと、・同大会〔での新型インフルエンザの流行〕を確実に抑制できることを保証するのに必要な、書面による証明書をイラン保健省が提出していないこと、などの問題が中心的に話し合われた。
また会合に出席した一部委員は、ペルシア湾の名称を第二回イスラーム・スポーツ大会の公式文書やメダルの図柄に記載することに反対し、大会関連のすべての文書(メダルやロゴ、技術パンフレットその他の大会文書)から削除するよう要求した。
これらの委員がこのように要求した背景には、第一回イスラーム・スポーツ大会で、サウジアラビアが大会文書から「アラビア湾」なる誤った名称の使用を取りやめたことが挙げられる。
当時「アラビア湾」という誤称をめぐり、イラン側代表団が抗議、ISSF関係者が同問題を調査し、同名称の削除をサウジアラビア側に求め、最終的に大会文書から同名称が削除されたという経緯がある。このようなことから、今回一部の国は、ペルシア湾という名称を大会文書に記載することに反発、第二回イスラーム・スポーツ大会委員会は全公式文書からの同名称の削除を迫られたのである。
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翻訳者:斉藤正道
記事ID:18296