「ペルシア湾」に新名称!?

2010年03月15日付 Mardomsalari 紙
最近、ペルシア湾の呼称をめぐる提案がアラブ諸国の間でホットな話題となっている。

 ファルダー通信の報道によると、イランの一部近隣諸国がペルシア湾の呼称変更に失敗したことを受け、クウェート外相は最近の驚くべき発言の中で、(これまでのアラブ諸国の立場から一歩後退する形ではあるものの)なんとペルシア湾に対して2つの呼称を併記する案を提起したのである。

 この案について同外相は、イラン人がこの湾を「ペルシア湾」と呼びたいと思っているのと同様に、アラブ諸国もこの湾をアラビア湾と呼びたいと考えているのだ、と説明した。

 しかし、この発言は事の終わりではなかった。イランの出版物やインターネット・サイトが歴史的に確立されたペルシア湾という呼称についての〔クウェート外相の〕この滑稽な立場に対して、抗議の意志に示した一方、一部のアラブ人著述家たちからも、なかなか興味深い反応が見られるのだ。

 例えば、アラブのインターネット・サイト「イーラーフ」はペルシア湾の呼称をめぐって、一部のアラブ人思想家らにインタビューを行い、そのなかでクウェート大学のシャムラーン・イーサー教授(政治学)の発言として、次のように「告白」しているのである。すなわち、この湾の名前は歴史的に見てもずばり「ペルシア湾」なのであり、後にガマール・アブドゥン=ナーセル〔アラブ民族主義者のナセル・エジプト元大統領のこと〕の時代になって、アラビア湾というニセの呼称に変化した、というのだ。とはいうものの、このアラブ人専門家もクウェート外相と同様、ペルシア湾という呼称の複数化を提案している。

 「ペルシア湾」あるいは「ペルシア海」はオマーン海へと続く水路であり、イランとアラビア半島の間に位置している。「ペルシア湾」は由緒ある呼称であり、その名は最古の文献にも残っている。紀元前数世紀からこの名称で呼ばれており、実際のところ、「ペルシア湾」はイラン人民の名称とも固く結びついたものなのである。


この記事の原文はこちら
関連記事(イラン、イスラーム・スポーツ大会の開催国としての権利を失う:ペルシア湾呼称問題が背景)

同じジャンルの記事を見る


翻訳者:尾曲李香
記事ID:18731