イラン体育庁に蔓延する不法行為:国会調査委員会がイラン体育庁の腐敗を報告
2010年07月22日付 Jam-e Jam 紙
【スポーツ部:オミード・トウフィーギー】北京オリンピックでイラン・スポーツが歴史的な大敗を喫し、それに続いて南アフリカ・ワールドカップの予選でイラン代表チームが失態を演じたことは、若きイラン社会とってはきわめて不愉快な出来事であった。
しかしこれを契機に初めて、こうした敗北が真剣かつ実際的な反応をもって国会で受け止められることとなった。「イラン体育庁調査究明法案」が〔国会で〕可決されたのである。これはきわめて重要な出来事であったし、スポーツ愛好家たちもこれを歓呼して迎えた。
そして今、この「調査究明」が最終段階を迎え、報告書が発表された。そこには、スポーツ界における巨額の金銭不法行為の実態が明かされており、一部責任者のスキャンダルへと発展している。
スポーツ行政の責任者たちは、1948年以降イラン・スポーツ界が参加してきた14回のオリンピックの中で最悪の結果となった北京オリンピックでの51位という低迷ぶりを、単なる不幸な出来事として片づけ、その責任を取ろうともせずに、問題の本質を無視して、「オリンピックなどさして重要でも名誉あるものでもない」などと開き直ってきた。
しかし、国民の不満をよく理解していた国会議員たちは、北京オリンピックに参加するために選手団に用意された1200億トマーン〔約120億円〕という準備費用を見過ごし、この歴史的敗北を覆い隠すつもりはなかった。
確かにスポーツ行政の責任者たちは、全準備費用は700億トマーン〔約70億円〕だと主張してはいるが、だからといって国会が深く詳細な調査を行うことを妨げられるものではないだろう。
「体育庁調査究明法案」はモスタファー・キャヴァーケビヤーン議員〔※マルドムサーラーリー紙の発行責任者。政府に批判的な改革派議員〕によって1387年メフル月7日〔2008年9月28日〕に初めて提議され、最終的にワールドカップ予選でのサッカー・イラン代表チームの失態を受けて、1388年シャフリーヴァル月3日〔2009年10月25日〕に賛成134票、反対63票、棄権13票で国会可決されたものである。
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翻訳者:石井健介
記事ID:19788