■「ブルックリン・ハイツ」、繊細で巧みな細部
2010年08月25日付『アル=ハヤート』紙(イギリス)HP文化・芸術面
【シャリーフ・ハタータ】 *エジプト人作家[注:日本でもよく知られるフェミニスト作家ナワール・サアダーウィーの夫]
エジプト人女性作家ミーラール・アッ=タハーウィーの小説「ブルックリン・ハイツ」(カイロ、ミレット出版)の主人公は悲しみにくれた孤独な女性で、名を「ヒンド」という。作者はブヘイラ県のティラール・ファルウーン村に定住した遊牧民の一家族に生まれた子ども時代から始まって、その後の彼女の人生の様々な局面を描いていく。「ヒンド」は結婚するが、夫が複数の女性と関係を持っているという事実に突きあたり、不和が生じる。ある日突然夫は家を出て、彼女の人生から姿を消す。幼い息子と二人取り残された彼女は、外国に移り住む許可証を手にする。アメリカに渡り、ニューヨークのブルックリンに落ち着いた彼女は、ラテンアメリカやアフリカ、アジア、そしてアラブ諸国からの移民の多いこの街で、アラビア語を教え始める。
「ヒンド」は幼い頃から自分の人生に満足していなかった。いつも家族の元から、村から逃げ出すことを考えていた。自らの人生から、心の奥深く横たわって彼女を苦しめている秘められた悲しみから、母や家族、生まれ育った男性中心主義の部族社会が彼女に植え付けた肉体的・精神的に不能であるとの感覚から、逃げ出す方法として旅に出ることを夢見ていた。また彼女は物を書くことも夢見ていた。書くことで、悲しみから救われていたのかもしれない。「彼女は、心のうちに抱えているものが執拗に積み重なった今の状態のまま続くなら死んでしまうとでもいうように、書くことを欲していた。そして、『私は誰にも似ていない』という最初にして唯一の文章を書き上げたいと欲していた」。
「ブルックリン・ハイツ」を読んで、主人公ヒンドの人生の基本的な要素は作者であるミーラール・アッ=タハーウィー自身の中に結晶化しているように思えた。彼女も故郷や村や家族から、それまで暮らしてきた場所や人々や出来事などの環境から遠く離れて外国に旅立っている。時間や空間、日々の暮らしぶりにおいても、それらから遠く隔てられているのだ。人間というのは、大西洋のような大海に隔たれて、以前の生活や喧騒、日々生きるための戦いから遠ざかり、新たな生活に向きあうと、黙考や追憶や比較、日々の多忙さや忘却に埋れていた本質的なものの抽出を促してくれるような環境が生まれるものだ。
距離は人間にその表皮や層をひとつずつめくり、闇の中で光を放たせるよう、あるいは自分や他人の内面を深く探って本質的なものを見つけるよう促す。過去の細部を心の中に蘇ったかのように取り戻させ、かつて自分の人生の一部だった人々や出来事、場所、情況、行動、思考、別れなどを再びその手に掴ませるよう促すのだ。
(中略)
この小説には稀にしか出会えないような人物が何十人も登場し、ブルックリンであれ、ブヘイラであれ、空間の描写にも富んでいる。消費主義と宗教的保守主義の浸透によって社会と人間に何が生じたのかが、人間と土地との結びつきのうちに描かれている。無数の細かい描写が現実に具体的な形を与え、目で見て、手で触れて、匂いを嗅ぐことができるような生き生きとしたものにしている。小説を読み進みながら読者はその細部に飽きるどころか、その細部を生きることができるのだ。
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翻訳者:梶原夏海
記事ID:20068