■本紙、パキスタンの核兵器管理責任者にインタビュー
2010年10月12日付『アル=アハラ―ム』紙HPレポート・通信面
【パキスタン:サーミフ・アブドゥッラー(本紙副編集長)】
パキスタン軍報道官アトゥハル・アッバース少将の直接仲介無しにはこのインタビューは有り得なかった。同少将は、我々の要請に基づき関係者と連絡を取りインタビューに応じるよう説得することを約束してくれた。
意中の人は、1998年以来パキスタン国軍戦略計画部門の事務局長を務めているハーリド・アフマド・キドワーイ中将である。パキスタンの核兵器製造、保全、管理、利用の総責任者であり、その部門が担当するポジションの微妙さのため報道関係者と話すことは稀である。
中将の側近らは会見前にいくつかの条件を出した。音声録音の禁止、会見記録は紙とペンに限ること、報道前に内容を確認させること、そしてそれらの条件を呑まなければ会談を行わないとのことであった。
私の方は、それらの条件と引き換えに、たとえキドワーイ中将が答えを拒否するような、不適切とみなされるデリケートな質問であっても、望むとおりに質問させてほしいと要求した。それに対し中将は、「好きなように質問しなさい。我々は兄弟であり友人だ。この会談を許可したのは、あなたが兄弟国エジプト、そしてアハラーム紙から来ているからである」と答えた。
パキスタン、ラワルピンディ市境のシカララ軍事キャンプにある彼の事務所でこの最重要人物との会談は行われた。
―あなた方の戦略計画によると、核兵器を相手に使いうる状況あるいは立場とは、どの様な場合ですか?
「我々は、どのように、どの状況で核兵器を使用するかではなく、常に必要がある場合に使用する権利について議論している」
―では誰が核兵器による攻撃の決断を下すのですか?
「核兵器行使権を持つのは、首相率いる9人のメンバーからなる国家司令部のみである。私がリーダーを務める戦略計画セクションは、その決定実行に責任がある。国家指令部にとって我々は事務局のようなものだ」
―正確には誰がグループのメンバーなのでしょうか?
「4人の連邦大臣と、陸海空軍の間を調整する統合参謀本部議長に加えて、陸海空軍の各司令官、先ほど述べたようにこのグループを首相が統率している」
―多くの報告書が、偉大なアブドゥル・カディール・カーン博士がいなければ、パキスタンは、核兵器を手に入れられなかっただろうと指摘しています。その枠組みで彼が果たした役割とは、正確には何だったのでしょうか?
「インドが1974年に行った初の核実験に対抗して、パキスタンは核兵器開発に乗り出した。しかし核兵器開発分野での実際の研究は、アブドゥル・カディール・カーン博士が着手したものだ。当時オランダにいた彼は、ズルフィカール・アリー・ブット首相に仕えていた。首相は、カーン博士が通常の政府業務から離れ独自に研究を行うことを許可し、博士が必要とする権限や手続き等を提供した。またカーン博士は、当時主流だったプルトニウムではなく、まだ普及していなかった濃縮ウランを使った新たな技術を提唱した」
―カーン博士の計画はどの程度の予算と時間を必要としましたか?
「7年の間に、わずかな予算で彼は93%もの高濃縮ウランをつくるようになった。そしてそれは核兵器製造に適した数値だった。1998年5月インドが5回の核実験を行い、それに対抗してパキスタンは2週間以内に、2日で6回もの核実験を成功させた。インドの核実験では少なくとも3回において疑問点が見受けられたのだが」
(後略)
(本記事は
Asahi中東マガジンでも紹介されています。)