バシュブー元参謀総長、『テロ組織の末路』ラムズィー書店から出版
2011年05月18日付 Radikal 紙
元参謀総長のバシュブー退役陸軍大将は、自身の著書『テロ組織の末路』において、PKK(クルド労働者党)について興味深い考察を述べている。バシュブー元参謀総長は、PKK設立の目的は「大クルディスタン国家」を樹立することであるとし、「3月1日の覚書」(訳者注)の否決は「誤り」であったと述べている。
元参謀総長のイルケル・バシュブー退役陸軍大将は、ラムズィー書店から近日出版される自著『テロ組織の末路』において、世界におけるテロ組織の行方と、トルコにおけるPKKの組織化と狙いに関する興味深い考察を述べた。
■狙いは大クルディスタン国家の樹立
バシュブー元参謀総長は、トルコにおけるクルド問題が外的勢力により作り出されたことを、歴史の流れに沿って詳しく調べ、PKK(クルド労働者党)設立の目的を、「トルコの東部、南東部アナトリア地方と、イラク、イラン、そしてシリアのある一定地域を含む形で、『大クルディスタン国家』を樹立すること」だとしている。バシュブー元参謀総長によると、(PKKは)「統一大クルディスタン国家」という目的達成に向けて4段階の目標を次のように掲げているという:
「第1段階では、クルド人が居住している国においてクルド人としてのアイデンティティが認められること。第2段階では、自治体制が確立されること。第3段階では、既存の国々においてクルド自治政府が設立されること。第4段階では、独立大クルディスタン政府が樹立されること」
バシュブー元参謀総長は、PKKはこの目的を達成できないと判断するや、ターゲットを変えたのだと見ており、次のように述べた。
「PKKとそのリーダーは、武力闘争では武力によるプロパガンダから前に進むことはできないと判断するや、ターゲットとして『民主共和国』を主張し始めた。オジャランはこの変更について、『民主的な解決がただひとつの道だ。分離、分裂など不可能だし、その必要もない!』といった形で語っていた。これはある意味後退である。武力闘争で望むべき目的に到達できなかったという事実を、他の形で表現したに過ぎない・・・民主共和国という目標を達成するために、闘争の焦点に、エスニック・アイデンティティの問題が据えられたのだ」
■「トゥルキエ」(Türkiye)という語に反対
バシュブー元参謀総長は、その本の中で「国民国家」論争についても言及し、「トルコ国民」という定義に異を唱える者たちは、しばらくすると「トゥルキエ」(Türkiye)という語に対しても異を唱えるようになるだろうと主張する。
「…アタテュルクとその仲間たちは、自らが樹立したトルコ共和国を、3つの原則の上に据えようと決めた。この3つの原則とは、国民国家、単一国家、政教分離の国家である。今日、この3つの原則は様々な集団によって、異なる目的のために、議論の的となっている。テロとの闘争という枠組みにおいても、見据えられたのは、トルコ共和国は国民国家であるという原則である。『トルコ共和国をつくり、トルコに住む人々はトルコ国民と呼ばれる』という形で定義づけられるひと、人種差別と宗教的な影響力を拒む人、この定義における『トルコ(Türk)』という語をひとつの形容詞としてではなく、全員に対して与えられた共通の名称として受け入れる人々は、トルコ国民という定義に対し、どうして反対などしようか?今日『トルコ(Türk)』という語に反対する人たちは、明日になれば『トゥルキエ(Türkiye)』という語にも同様の理由で反対するに違いないということが、どうしてわからないのか?国民国家においては、国民が共通の価値観と理想をもつことが重要である」
■PKKを周辺化(無力化)しえた
バシュブー元参謀総長は、自著において、PKKのテロと武力闘争においてトルコが手中にしてきた成功を並べる一方で、欠点についても書いている。バシュブー元参謀総長は「3月1日の覚書」の否決をこの欠点のひとつとしてみているとし、次のように述べた。
「国家において、それぞれのイニシアチブによって、何の圧力もなく、それぞれの状況において決断できるということは重要である。TBMM(トルコ大国民議会)に提出された覚書が、2003年3月1日にTBMMにおいて可決されるために必要な票数を満たさなかったため、トルコはPKKテロ組織を周辺化しうるもう一つのチャンスを再び逃してしまった。覚書が可決されていれば、長期にわたってイラク北部に駐屯することになるトルコ軍によって、PKKを周辺化させることが可能であったのに」
バシュブー元参謀総長は、ヨーロッパがPKKを支援していたことについて次のように述べた。
「PKKは、ヨーロッパを始めとする多くの国から精神的、物質的支援を受けていた。まずクルド自治政府樹立を図ろうとするこの組織に対し、政治的支援が行われているとは断言できずとも、1995年まではPKKというテロ組織が勝利を収めるだろうと考えていたヨーロッパの国が多数あることは、指摘するに難くない。実際、アブドゥッラー・オジャランが逮捕されることとなったプロセスは、PKKは単独では武力闘争によって勝利を収められないということが複数の国によって理解されることで始まったともいえるのだ」
■バルザーニ氏においても変化はなし
バシュブー元参謀総長は、PKKは、自らが必要としている外部支援を得ることにおいて恵まれていると強調した上で、北イラク・クルド自治政府のムセド・バルザーニ大統領が今日においてもPKKに対する見方を変えていないということを、以下の発言でほのめかしている。
「1982年、バルザーニ氏の許可によって、PKKはトルコ・イラクの国境地域を安全地帯として使用し始めた。この状況は、今日においても同様に保たれている。1987年には、PKKはイランから、イランのトルコとの国境地域の使用許可を得た。トルコが、イラク北部の安全地域がPKKによって使用されることを阻止することは、トルコが実施しているテロとの闘いに勝利するためにも不可欠である」
訳者注:2003年3月1日、イラク戦争に際し、外国(米国) 軍による基地使用を認める決議案がトルコ大国民議会に提出されたが、否決された。
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翻訳者:萩原絵理香
記事ID:22551