最近、エジプトで起きている政治的混乱のために、同国からはエジプト情勢や親モルシ陣営と反モルシ陣営の対立についてのニュース以外が伝えられることはほとんどないが、こうした中、廃位されたイランの元王モハンマド・レザー・シャーの〔元〕妻ファウズィーヤ死去のニュースが世界に配信され、各通信社のヘッドラインを飾った。
ファウズィーヤはエジプト王ファウード1世と王妃ナーズリーの間にできた娘で、彼女は1921年11月5日に生まれた。運命のイタズラで、彼女はイランの宮廷に嫁いだが、そのことが彼女の命運を輝かしいものにすることはなかった。
ファウズィーヤがモハンマド・レザー・パフラヴィーと結婚したのは、彼がシャーの座に就く2年前の1939年のことだった。しかしこの結婚は、政略結婚だった。〔モハンマド・レザーの父親である〕レザー・ハーンが自身の政権基盤を強固なものにするために〔エジプト王家と〕合意した結婚だったのだ。レザー・ハーンの目論見は、中東の大国エジプトの王家と結びつくことで、同国との関係を強化しようというものだった。他方、イギリスも第二次世界大戦における自らの中東戦略を実現させるために、この結婚を望み、そのお膳立てをした。
しかし、イラン宮廷でのファウズィーヤの生活は辛く、長続きしないものだった。シャーの〔双子の〕姉妹アシュラフや彼らの母親タージョル・モルークの干渉、好色なシャーの道徳的堕落、パフラヴィー家は跡取りとして男子を期待していたにもかかわらず、ファウズィーヤが設けた子供が女の子だったこと、こうしたことが主な要因となって、徐々にファウズィーヤはシャーの宮廷と対立していき、10年間の結婚生活の末に離婚へと至ったのであった。
その後、ファウズィーヤは1949年3月28日に、国防相で元エジプト海軍司令官、そして彼女の親類でもあるイスマーイール・フサイン・シーリーンバク大佐とカイロで再婚する。1952年にエジプトで起きた反王制クーデターにより、ファウズィーヤは王族としてのタイトルを失い、財産も接収されたが、しかし彼女は国を離れようとせず、夫とともにアレキサンドリアで暮らした。
そして彼女はついに二日前、エジプト・アレキサンドリアにある個人の別荘で亡くなった。彼女の葬式は昨日開かれ、遺体はカイロに埋葬された。
本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。