【ジャーメジャムオンライン・スポーツ版】[イタリア人トレーナー、カルロによって]バレーボール選手としてのプレイ面・肉体面での土台という点で望ましい特性がイランのバレーボール選手らにプラスされるようになったちょうどその頃、東ヨーロッパ出身の指導者ヨーヴィッツァ・セトコヴィッチがイランの若き選手らを指導していた。しかし、スポーツ科学の専門家らは彼のトレーニング法を受け入れなかった。
イランのバレーボール専門家ジャムシード・ハミーディー氏は、この指導者を非難している。
彼は[選手らの]体作りにおいて間違った指導方法を用いていたため、この指導法が多くのバレーボール選手の選手生命を奪った。きちんとした裏付けのない トレーニング方法によって短期間での成果求めたことが、ユース選手、シニア選手らに多大なストレスをもたらすこととなり、これによってマンスール・ザードゥーンやモハンマド・モハンマドカーゼムといった選手らがバレーボールの才能を損ねる結果となったのである。
このあと、ミロラド・キヤッチ[セルビア出身・2006年イラン代表監督]やゾラン・ガイッチ[セルビア出身・2007-2008年イラン代表監督]といった外国人コーチが後任としてやってきた。特にイラン人記者らと不仲であったガイッチは、自身の指導者としての名声ゆえに、2年間イラン・バレーボール界から給与を受けていたが、実際に代表チームで指導にあたった期間は、すべて合せても2か月に満たなかった。というのは、バレーボール連盟がこの指導者の事実上の不在を黙認していたから である。
ジュリオ・ベラスコは、ガイッチの後任としてイランにやってきた。この指導者について、ハミーディー氏は次のように述べている。
ベラスコは様々なイラン・バレーボールの事柄に対し、言うなれば自分をガードし敵愾心を抱いていたが、ボールとネットに関わるすべての人たちの相互理解・団結・連携によって大きな成功につながるということを次第に理解するようになった。このようにして、十分な信頼関係のなかで練習プログラムが作成され、これが良い結果を生んだのだ。
ベラスコは、イラン・バレーボール界の二人のパクに続いて、この競技に特段の影響力をおよぼしている人物だ。これらの指導者、特にベラスコは、イラン・バレーボールに、世界のバレーボールの黄金の扉を開いたのだ。イラン・バレーボールは一方では、べラスコゆえに国際メディアから注目を浴びた。そして、他方では、このアルゼンチン出身のコーチ[ヴェラスコ]は、スポーツ心理学の知識にも長けていた。やがて彼の魔術的な影響力がイラン・バレーボール[の輝かしい成果]にはっきりと現れたのである 。
【スポーツ部:モハンマド・レザー・プール】