ウクライナはムスリム〔の国〕ではないし、文化的観点から言えば、西洋とさしたる違いはない。西洋の介入を招いたのは、ウクライナが自国の利益と自らの相対的自律性に基づいて、ロシアへの指向性を高めたことにある。このことが地域の政治力学を、ロシアに有利な形で混乱させてしまった。西洋はこれに我慢がならなかったのであり、〔キエフにある〕「独立広場」の「ユーロ広場」〔※ユーロマイダン〕への改名も、〔ヤヌコビッチ政権への〕反対者たちにみえて、その実ウクライナでの出来事を操る「ウラの手」によって、急遽行われたのである!
独立と従属、専制政治と民主主義、人権と反人権、テロリズムとテロリズムとの戦い、こうしたものは西洋諸国の利益に適う限り、彼らにとって全く同一の価値を持っているということを、彼らはこれまで何度も証明してきた。〔このことを理解するのに〕世界各地、エジプトやサウジアラビア、バーレーン、シリア、シオニスト体制、そして今ウクライナでの西洋の行動を、少しばかり注意深く観察するだけで十分だろう!
西洋を信じてはならないということが、ウクライナでの出来事から得ることのできる第四の教訓である。ヤヌコビッチ政権への抗議運動は一見して、国内での出来事であり、反対者たちは同国の人々であった。しかし、舞台裏でウクライナ情勢を操る糸の先を握っていたのは、西洋の諜報機関であった。彼らは決して、反対者たちに従っていたわけではなかったし、今もそうである。実のところ、抗議運動に参加していた〔ウクライナの〕人たちの方こそ、こうした諜報機関が描いた計画に従って行動していたのであった。周知の通り、反対者たちと当時のウクライナ政権との間には、現政権はそのまま政権の座に残り、期日を繰り上げて選挙を実施する、ティモシェンコをはじめとする一部の囚人たちを釈放する、といったことで合意が得られていた。ところが、ヤヌコビッチが合意を履行したにもかかわらず、反対者たちは西洋の諜報機関の戦略に沿って、彼を政権の座から追い出し、自らの手駒を一時的に政権の座に就かせたのである。
第五に、そして最後の教訓は、ウクライナ危機とシリア危機との比較によって手に入れられるものである。シリアでは域内諸国であれ、域外諸国であれ、全勢力が資金と人的資源、武器、そしてあらゆる種類の政治・治安上の支援を動員している。しかし神の恩寵により、彼らは自らの願望を実現させることができずにいる。こうした中、ロシアは〔ウクライナとシリア〕いずれのケースにも、同一のスタンス、すなわち合法的な政権の支持というスタンスから、積極的に関わっている。
それでは、シリア危機には〔重要な〕役割を演じながら、ウクライナにこれといったプレゼンスを有していないプレーヤーとしては、誰がいるだろうか。そう、人民とイラン・イスラーム共和国こそ、この二つの危機を別々のものにしている、主要な二つの要因なのである。ウクライナ政府は国の中心、すなわちキエフで、人民による必要な支えを欠いている。しかしアサドはダマスカスやその他シリア国内の多くの地域で、こうした支えを享受してきたし、いまもそうである。そしてこのことこそ、極めて重要なのだ!第二に、イランがシリア問題に関与し、同国の合法的政権を支持していることも重要だ。これは、イランの力が域内で果たしている決定的役割〔の重要性〕を示すものである。そしてその力は、〔ハーメネイー最高指導者の〕賢明なる指導と人民の支持、神への信仰と不撓不屈の精神に裏打ちされた深慮と科学技術の活用から生まれたものなのである。
ウクライナ危機はいまだ、収束まで長き道のりが控えており、これらの教訓が繰り返されるか、あるいは新たな事態が加わるかするだろう。今後も、ウクライナ情勢をしっかりと見守る必要がある。
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Asahi 中東マガジンでも紹介されています。