もしイスラーム的価値観にもとづいた文化が社会に広まり、社会を統べることになれば、政治からは権力争いという意味は失われるだろう
ラジャブアリー・エスファンディヤール(イスラーム科学・文化研究所学術委員)
文化は宗教的な信念や価値観の全体のことであり、社会の精神的成長・発展の素地を用意するものである。この定義に従えば、文化とは社会という存在に基本的な形で関与する、もっとも高度で崇高な要素だ、と言うことができよう。
イスラーム思想家たちは皆、文化が演じる他に代え難き役割を強調してきたと指摘することができる。〔ハーメネイー最高指導者が〕今年のスローガンを命名する際に「文化」の語を用いたことも、この重要性に注目し、それを際立たせることになった。
イマーム〔※〕の視点では、文化とは社会の中で高邁なる人間を育てることを追い求めるものである。そしてこの高邁なる人間を通じて、国の完全なる独立が確保され、守られるのである。かのお方は、革命の最大の目標は、ダイナミックで進歩的かつしっかりとした方向性を有した文化を広め普及させることで、社会に生きる人々の思考と行動を方向づけることだと指摘されている。
※訳注:この「イマーム」というのが具体的に誰をさすのかは不明。通常はイマーム・ホメイニーを指すが、「ホメイニー」を指す時に必ず使われる「神よ、彼に慈悲を与え給え」の符号が付いていないこと、この前の文章で(誰によってとは明示されてはいないが)ハーメネイー最高指導者が今年を「国民的決意とジハード的マネジメントによる経済と文化の年」と命名したことが示唆されていることから、「イマーム」が「ハーメネイー最高指導者」を指す可能性もある。ただし、最近の一部の保守強硬派を除いて、ハーメネイー最高指導者を「イマーム」と呼ぶことはない(12イマーム・シーア派にとって、「イマーム」はあくまでアリーからお隠れのイマームに至る、歴代の12人のイマームのことであり、ホメイニーを「イマーム」と呼ぶのは異例のことである)。なお、次の文章の「イマーム」には「神よ、彼に慈悲を与え給え」の符号が付いているので、ホメイニーを指していることが分かる。
イマーム〔・ホメイニー〕閣下は次のように強調しておられる。すなわち、文化は人間が神の存在を信じるための素地を用意しなければならない、つまり人間のあらゆる行動・思考は神の支配の下にあるとの信仰をもたらさねばならない(『イマーム著作集 第11巻、pp.382-383.)、と。
それゆえ、イスラーム文化は人間の精神と思考、そして行動の中に信仰を涵養し、神的意志をその中心に位置付かせることを、その最も重要な目的の一つと心得ねばならず、その目的に到達するために、常に努力しなければならない。イマーム〔・ホメイニー〕の考えでは、国民が自らを知り、自らの置かれた状況を、自らの地位と尊厳を理解することこそ、社会の独立したアイデンティティにとって最も重要な礎石なのである。
〔‥‥〕
宗教的観点に立つならば、文化は経済や政治とともに、〔国家の命運にとって?〕もっとも決定的な問題である以上、この問題での国民一人一人の役割は際立って高い。もしわれわれの直面する諸問題の根源は何か、なぜイスラームの諸社会は後退・停滞しているのかを自問すれば、その回答は一言で言えば、文化に関連づけることができる。〔つまり〕イスラーム教徒が豊潤なイスラーム文化から距離を取り、イスラームの教えから遠ざかっていることが、こうした事態の根源であると指摘することができるのである。
本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。