多大なる努力をした者だけが、『ギネス』に名前を載せることができる。大変な苦難を耐え忍んで、永遠に名前を残す人々。数々の偉人たちの横に名を連ねる夢は、多くの人たちにとって実現不可能な願望にすぎないだろう。しかしイランの大地にも、世界の偉業を成し遂げた人々の殿堂に名を刻みつけることのできた若者がいるのである。
マーザンダラーン出身のこの若い女性は、さまざまな制約にもかかわらず、夢に向かって大きく前進した。今や彼女は、マーザンダラーン州、そして国の誇りである。彼女の名前は現在、国、そして世界の記録保持者たちとともに記録されており、近く『ギネス』も彼らとともに、彼女の名前を載せる予定となっている。
彼女とは、ガーエムシャフル出身の29歳の女性のことである。名前を、ソマイイェ・マフムーディーという。
■ どうやって記録を作ったの?
とても努力しましたから。苦労して、チャンスを最高の形で活かすことができました。
■ 分野は?
私が記録を作ったのは、フラフープです。でも、小さい頃からスポーツには親しんできました。
■ 今のあなたの記録は?
私が記録に挑むまで、記録を保持していたのは9歳の女の子でした。でも、私が出した記録は、それまでの記録とは大きな違いがあります。確か、その子の約3倍の時間を記録しました。
■ つまり何時間?
10時間と10分です。
■ こんなに長時間フラフープをして、疲れませんでしたか?
たくさん練習しましたから。もっと長く輪を回すこともできたはずです。でも笛の音が聞こえて、止めるべきだと思ったんです。
■ どんな条件で記録が取られたのですか?
ガーエムシャフル市の市民スポーツ委員会の委員長がアレンジをしてくれて、テヘランと〔マーザンダラーン〕州から二人のジャッジが来てくれました。
■ 記録を取っている間、何か食べたり、休みは取ったんですか?
このスポーツで記録を取るときは、二つのやり方があります。一つの方法はフラフープをしている間に休みを取ることのできる方法。でも私が挑んだのは、休みを取らずにやる方で、連続10時間以上のフラフープに成功したというわけ。
■ 一日に何時間練習したんですか?
私は小さい頃からスポーツをしてきたので、体の準備は万端でした。だから、記録に臨むのに必要な条件は整っていました。記録に挑戦することを決めたのは、ラマダーン月の初旬のこと。多くの人から、断食はしないよう言われたけど、断食は我慢強さを鍛えてくれると信じていました。ラマダーン月中、毎日断食していたわ。練習は早朝12時から3時までしました。この時間帯は、夫も子供も寝ていたわね。
■ スポーツと子育ては両立できないんじゃ?
できるわよ。もし子供がいなければ、確かに楽だったでしょう。でもしっかりとしたスケジューリングができれば、子育てをしながらスポーツもできるの。
■ 結婚して何年?
8年前に婚約したけど、一緒に暮らし始めてからは4年。今3歳になる息子がいるわ。
■ 教育は?
体育の分野で修士号をもっているわ。博士号のための面接も受けたけど、まだ結果は出ていないわ。
■ スポーツを始めたのは何歳から?
おおよそ、8歳の頃からよ。私の家族はみんな、スポーツ選手よ。
■ どんなスポーツをしてきたんですか?
まずはフィットネス。それからバドミントン、ハンドボール、空手、水泳、体操、バーレボール、バスケットボール、カバディーなんかをやってきたわね。これらの分野では、娯楽のためにやってきたというのではなく、多くの分野で優勝経験があるわ。
■ たとえば?
バドミントンとハンドボールでは、国内で優勝と準優勝をした経験があるわ。でもそれ以外の分野では、州ないし県レベルでのことよ。
■ 合計の優勝回数は?
正確には記憶にないわね。今のところ、優勝の表彰状が20枚あるわ。
■ さまざまな分野を経験してきて、どうしてフラフープに辿りついたんですか?
結婚した後、プロフェッショナルなスポーツには縁がなくなったの。私は最初、体型を維持するために、フラフープを始めたわ。少し前のこと、このスポーツをインターネットで調べてみたら、この分野にもギネスの記録があることに気がついたの。記録は確か、1時間48分だったと思うわ。そこで私は市の市民スポーツ委員会の委員長に連絡して、この記録なら更新できるって、宣言したの。彼もそのための条件を用意してくれた。私は一日1時間、輪を回していたの。だから、この分野で自分を試そうって決めたわけ。
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本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。