「慈悲深く慈愛あまねき神の御名において」の文言が、和議本文の冒頭から削除され、また預言者の名前から「神の使徒」の語が外された。さらに、この条約の第2条は、クライシュ族から逃亡したイスラーム教徒の送還をイスラーム教徒に義務づける内容だった。これに対し、メッカにいる多神教徒たちは、こうした約束を免除されていた。こうした条項は預言者の一部の仲間を傷つけ、彼らはそれを容認しようとはしなかった。
最近、フダイビーヤで結ばれた和平条約やその際に行われた条項の削除・追加を根拠に、核交渉で5+1グループ(国連安保理常任理事国とドイツ)に対して、というより実際にはアメリカに対して、矢継ぎ早に見返りを与えることで、自らを預言者の立場に置こうとしている者たちが一部にいる。彼らは、自分たちのやり方を批判する者たちを、イスラーム初期の時代に預言者に反対した、急進的なイスラーム教徒に仕立てあげようとしているのだ!
こうした中で、いくつかの重要な点が意図的に、あるいは過失によって、無視されている。これは、イスラーム初期の時代の重要かつ教訓に満ちたこの出来事を歪曲するものだと言えるだろう。
1点目。預言者がメッカに向けた旅を行った主な目的は、ウムラを行うことだった。たとえその年には実現しなかったとしても、クライシュ族はこの条約で次の年から毎年、イスラーム教徒にはウムラを行う許可を与えることを受け入れたし、実際に与えられた。
果たして核交渉で、アメリカ、すなわち、いわゆる「村長」は一年遅れで、イランの核の権利を正式に認め、あるいは制裁の解除を受け入れただろうか。
2点目。フダイビーヤの和議は大いなる深慮をもって結ばれたものであり、預言者がいまだメディナに到達していなかったときに、神は勝利章「本当にわれは、明らかな勝利をあなたに授けた」を啓示し、イスラーム教徒に大いなる勝利の吉報を与えた。そしてクライシュ族はその少し後に、条約の一部破棄を求め、最終的に3年と経たずに、条約全体が多神教徒によって破棄されたのであった。
果たして核合意に盛り込まれている条項は、イスラーム的イランに大いなる勝利をもたらし、しばらく後にアメリカがその一部、ないしすべてを破棄したいと思うようなものとなっているのだろうか。