フダイビーヤの和議を曲解するな(3)

2015年01月17日付 Jam-e Jam 紙
 3点目。フダイビーヤの和議はクライシュ族の嫌がらせから逃れることで、イスラームを世界化させ、当時の二大帝国、すなわちイランとローマ、ならびにアビシニアをイスラームの布教の対象とする絶好の機会を、イスラームの偉大なる預言者に与えた。この条約はまた、イスラーム教徒たちがその翌年、大挙してメッカに押し寄せ、ウムラを行い、最終的には3年と経たぬうちに、クライシュ族の多神教徒たちによる条約破棄によって、メッカがイスラーム教徒の手に落ちるきっかけとなった。

 果たして現在の核交渉は、イスラーム的イランに同じような結果をもたらすものなのだろうか。それとも人権や国防、イランの地域におけるプレゼンスなどをめぐって、アメリカがこれまで以上に過大な要求を突きつけてくる始まりとなるのだろうか。

 最後に、そして最も重要なのは、フダイビーヤの和議で和平条約を結び、その作成の際に柔軟性を見せることに同意したのは預言者であり、一部のイスラーム教徒はプライドの高さや先見の明の欠如により、和議に反対したのは事実だが、しかしながら現在、純粋イスラームの思想、イスラーム革命の創始者〔=ホメイニー〕の思想に従うならば、預言者の後継者〔※〕であるところの革命最高指導者は、下劣な柔軟性には反対しているのである。こうした柔軟性に固執しているのは、敵の手にばかり視線をやる一部の者たちにすぎないのだ!

※訳注:ホメイニーの「法学者の監督論」(ヴェラーヤテ・ファギーフ)によれば、有識で有徳のイスラーム法学者には、イスラーム共同体を率いる指導者としてのムハンマドの役割が引き継がれており、それゆえイスラーム法学者にはイスラーム共同体を指導・監督する義務がある、とされる。

 フダイビーヤの和議は英雄的柔軟性の最高の事例であり、そこに隠されている至極の深慮は、偉大なるイスラームとイスラーム教徒に対してそれがもたらした驚くべき結果の中に見出すことができる。今日も、〔預言者ムハンマドがフダイビーヤの和議で得た〕こうした成果に希望を抱くならば、こうした柔軟性は可能であるばかりか、必要ですらある。

 しかしだからといって、このような預言者の神聖なる行為を口実として、偉大で勇敢なる国民の誇りと名誉を侵犯してよいということにはならないのである。


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翻訳者:カイテオス・エンホロゴス
記事ID:36819