Ahmet Inselコラム:チュニス惨事とトルコに迫る危険
2015年03月20日付 Radikal 紙
今日、ISの一員として戦うためにシリアへと渡る志願者たちの数は減っていないことを専門家たちは伝えている。本当に危険なのは、撤退と同時にISを離れる戦闘員たちが、祖国へ戻ったり、他の国へと渡ったりすることである。この観点から見てみると、トルコは今もっとも危険な国である。
水曜日、チュニジアの首都、チュニスにある有名なバルドー博物館の入り口で、バスから降りた観光客が襲撃され、20人の観光客を含む23人が亡くなった。負傷者の一部は重傷で、死亡者が増加する恐れがある。襲撃をした2人は、4時間もの攻防の末、射殺された。チュニジア政府の情報筋は、彼らは2人ともチュニジア人であることとともにその身元を明らかにし、イスラム過激派組織「アンサール・アル・シャリーア」の構成員であり、リビアで軍事訓練を行っていたとしている。2人の男に対し、援助を行ったことが疑われている9人の男は翌日の木曜日に身柄を拘束された。チュニジアにおいて、2002年4月にジェルバ島のユダヤ教会で21人の観光客が殺された自爆テロは、アルカイダが主導したものだった。しかしながらチュニジア襲撃事件から一日経っても、今回の事件を誰が主導したのかは明らかになっていない。
チュニジアでの襲撃は、シリアにおけるISや他の急進的イスラム組織の旗のもとで戦闘を繰り広げる外国人兵士の中で、チュニジア人がもっとも大きなグループを形成しているという現実を再び明らかにした。2014年の6月にチュニジア内務大臣は、その人数がおよそ2400人に達していることを確認したと述べた。これらの人々がヌスラ戦線として戦うためにシリアへと渡ったことやその後その80%がISへと移ったことを明らかにした。
チュニジア内務大臣が2014年2月に行った発表では、400人のチュニジア人がシリアからチュニジアへと戻ってきており、8000人ものチュニジア人のシリア行きを阻止したことを発表している。
今回の襲撃は、民主化プロセスの観点からアラブ騒乱後の模範国的存在でもあったチュニジアに対し行われた。チュニジア大統領は、軍の司令官や治安組織の幹部との間で行われた会議の後で、チュニジアは「交戦中の国」であると宣言した。チュニジアでは世俗的なニダ・チュニスとイスラム派のアンナハダの2党からなる連立内閣が、2015年2月6日に行われた信任投票で反対66票に対し賛成166票で信任され、新体制が始動している。観光業が重要な地位を占めているチュニジアの経済は、近いうちにより打撃を受けるであろう。
この襲撃によって、シリアに12000人から15000人ほどいると見られている外国人ジハーディストグループの中で、なぜチュニジア人が最も多く含まれているのだろうという疑問も浮かんでくる。外国人ジハーディストの数はチュニジア人の次にサウジアラビア人、そしてヨルダン人、モロッコ人が多いと考えられている。チュニジア政府は、昨年の秋に自国民のジハーディスト戦闘員らがシリアから祖国、つまりチュニジアに帰ってくることがチュニジアそのものにとって大変大きなテロの脅威となるということを公に発表している。
シリアでISのために戦っている者や、後方支援を行う外国人たちの財源のうち、カタールやサウジアラビアからのの資金の割合が大きいことを専門家たちは皆認めている。まずリビアで軍事訓練を受け、その後トルコを経由してシリアへ入るチュニジア国籍の人々の家族に対するある一定の補償金は、この財源によってまかなわれている。
シリアでイスラムのジハードに参加することや、その後ISの旗のもとで暮らすことを望み、シリアへ向かう者たちの中には西欧諸国出身の者も決して少なくはない。彼らの中でも特に、ごく最近ムスリムに改宗したばかりの若者の割合が注目されている。
シリアに残った人々や、祖国に帰った人々に関してなされた調査の結果も少しずつ明らかになりはじめている。そのうち、興味深い事実の一つは、シリアで最後の審判の兆候が明らかになり、ダッジャール(終末に現われると信じられている偽預言者)が現れ、救世主がダッジャールを倒すための最後の戦いをダマスカスで行なうだろうというという信仰が外国人ジハーディストの間でかなり多く見られることである。ユダヤ教やキリスト教信仰におけるハルマゲドンのイスラム版である大虐殺が、シリアで、或いは一部の人間にとってはダマスカスで、或いはアミック平原でもたらされるという信仰が広く浸透しているということを最も強く示す例は、ISの英語版の新聞の名前がDabiqであることだ。これはアレッポ北部でトルコとの国境に非常に近いところに位置する村の名前であると同時に、1516年に起こったマルジュ・ダービクの戦いが繰り広げられた平原である。ISに参加した者の中で聖戦によって命を捧げ、天国に行けるということを信じて戦っている者の割合は非常に高い。シリア国外で、暗殺などを企てる者も、暗殺後に起きる衝突で命を落とし「殉教者」の称号とともに天国へ行くためにテロを企てているのだ。
様々な期待を以て、何世紀もの間、時折キリスト教やユダヤ教の世界に登場している千年王国論に似たものがイスラム世界の中で高まっている場所がまさに今日のシリアだ。ISの「建国」宣言は、この期待に肉付けをしたもののように見える。
もちろんISや他のジハーディスト組織に関してでも、このような千年王国論への期待に基づいて活動をしている者ばかりではない。冒険心から行動している者や、意味的空白を埋めるために行動する者たちも少なからず存在するのだ。例えば、フランスではこの問題について発表された研究において、両親がムスリムではない家庭で育ちながら、ここ数年の間に様々な方法でムスリムに改宗し、シリアへと向かう若者たちの動機の根底に大きな憎しみが前面に出ている。ロサンジェルス・タイムズ紙のロバート・ザレツキー氏は2014年12月刊行の記事で、第二次世界大戦期のナチスドイツで最後まで戦い、フランス人志願者たちから構成されていたシャルルマーニュ部隊の生き残りが語ったことと、今日ISに参加しているフランス人青年たちの動機との間の類似性について指摘している。シャルルマーニュ部隊の志願者たちは自らを”全ての文明に対する敵であるボリシェビズムと戦うためにロシアへとむかった”西洋文明の十字軍戦士と考えていた。ISやそれに近い組織の旗のもとで死ぬために暗殺や虐殺に走る戦闘員たちの動機にそう大きな違いはない。唯一違うのは敵の名前だけなのだ。
専門家たちによると、今日ISの一員として戦うためにシリアへ向かおうとする志願者たちの数が増えているという。本当に危険なのは、ISによる当初の、ものすごいスピードで進められた勢力の拡大が止まり、そして撤退の開始とともに、ISのもとを離れた戦闘員らが、自らの祖国へと戻ることや、他の国へと向かうことだ。この観点から見ると、トルコは最も危険にさらされている国の一つである。シリアで戦闘を行っているトルコ人たちの数が見過ごせないほど増えてきていることによって(500~1000人ほどいると見られており、この数字の2倍ほどいると見ている者もいる)、また同時にシリアに長期間滞在せず、2つの国を行き来したり、後方支援を組織化したり、間接的に戦闘に関わる者の数ははっきりはしていないものの、非常に多く存在していることからもトルコは最も危険な国であると言えるであろう。また、政府もこの事実を知っているであろう。政権はありもしない暗殺の主張を熱心に繰り返す一方で、この件に関してはなぜか口を閉ざしたままなのである。
トルコがイスラムテロが蔓延する地域の中で最も危険な位置にいることの全ての責任を公正発展党(AKP)に丸投げすることはできないであろう。しかしながらこの責任の多くの部分は公正発展党にある。より問題なのは、未だに政権がこの大きな危険に対して真剣な対策を施していることが示されていないことである。
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翻訳者:三井景介
記事ID:37152