Serkan Demirtas コラム:エルドアンは、「大統領」を9か月でいかに変質させたか
2015年06月02日付 Radikal 紙
レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領は、2014年8月28日にトルコの第12代大統領としての職務を開始し、我々が慣れ親しむ儀典的な大統領にはならないということを宣言した。それから今日までの間に行ったことと、憲法ならびに法律を踏みにじった結果、たった9か月で大統領の称号の意味を失うところまできた。
2014年8月10日の選挙で52%の票を獲得し、国民が選出した最初の大統領として職務を開始したエルドアンは、その時期に行った会見で「走りまわり、汗を流す」大統領となること、儀典的な職務には限らないことを明確に宣言した。「国民の総意で」この職務に選ばれたこと、このため、それより以前の大統領とは比較されるべきではないと述べたエルドアンは、おとなしくしていた最初の3-4か月の期間が過ぎると、活発な政治活動に立ち戻る意思をみせ始めた。
このプロセスにおける最初の歩みを、1月19日に閣議を招集して実現した。アフメト・ダヴトオール首相としてはやりにくかったこの最初の閣議の後にさらに二回閣議で議長を務めたエルドアンは、執行部の長として政府の仕事への関心と関与が今後も続くということを示したのだ。エルドアンは、この過程において、ダヴトオール首相が不正行為の予防のため施行することを望んだ「透明化法案」を妨害し、またクルド人問題解決プロセスで大きな重要性を持つドルマバフチェ合意と監査委員の構築に反対した。
ダヴトオールの首相としての領域を狭め、国家諜報機構(MIT)のハーカン・フィダン事務次官がダヴトオール首相の傍で政界に入ることを許さなかったエルドアン大統領は、公正発展党(AKP)の選挙公約と候補者リストの決定にも指導権をもつ一人となった。ダヴトオール首相が公選大統領制に賛成しておらず、そのため議題に取り上げようとしないことから、首相に圧力を掛け、結果「政党所属の大統領」を実質的に実現させている。
■選挙キャンペーンを行う大統領
大統領という肩書にも関わらずAKPの党首そして首相であるかのように振る舞うエルドアンは、選挙プロセスの始まりと共にそのギアを強めた。憲法と選挙法に堂々と敵対し、しかし法律の隙間を利用したエルドアン大統領は、開会式の名の元に実行した政治集会において、憲法が自身に与えている職務とは正反対の活動を行った。
このプロセスにおいてエルドアン大統領が行った活動のうち、憲法の第104条の「大統領は国家の長である。この称号によってトルコ共和国とトルコ国民の一体性を代表する。憲法の適用、国家機関の秩序ある仕事を監督する」という定めに即したものはごく僅かしかない。
■トルコ国民の一体性の象徴という職務がおざなりに
AKPに400人の議員を望み、野党を厳しく批判したエルドアン大統領は、職務と全く反対の政治的な言説を用いた。合計で50パーセントを超える野党と候補者らを厳しい言葉で非難し、一部の候補者を性的傾向や、宗教的観点から卑下し、「トルコ国民の一体性」を代表することからは程遠いプロフィールを描いた。
そして、数週間前に行った会見の一つで、現行の憲法と政治システムは8月10日に崩壊しており、新しいものが構築されるまで憲法と法律の侵害を続けること、52%の国民の助力がこの活動に正統性を与えてくれたことを述べた。
■メディアへの圧力と脅し
大統領という称号で職務にある間、エルドアンの高圧的な方針が最もよく見受けられた分野の一つが報道の自由の問題だ。CHPの副党首であるセンジェル・アヤタ教授は、その最新作である『権威主義化する体制』という著書において、独裁政権が、情報源へのアクセスを独占し監視の下に置くことによって、国民の無感覚化と受動化を促していると警告する。アヤタ教授は、「他の独裁政権で見られるように、トルコでもAKP政権は国民が異なる見解を持つことを妨害するために、マスメディア、インターネットとソーシャル・メディアへの監視を強めている」と述べている。
アヤタ教授が描く概念的な枠組みの中を満たすのは、エルドアンをはじめ政権政党の為政者たちだ。この枠内において初めて影の国家との闘争という名の下において、ギュレン派に対する圧力は-サマンヨルTVグループのヒダイェト・カラジャ会長は未だに刑務所にいるが-司法により手を加えることの模索へと変質させられた。その後は、トルコで最も影響力のある報道・出版組織を傘下に持つドアン・メディア・グループとヒュッリイェト新聞が標的となった。エルドアン大統領が開いた道の最後には、ヒュッリイェト紙のセダト・エルギン総編集長を有罪とすることさえした。エルドアンは、このグループに関連する組織で働く人々に対して「給料取りのペテン師」という表現を用い、トルコの同業者に連帯を示すニューヨーク・タイムス、エコノミストといった報道・出版組織にも言葉の攻撃を行った。
しかしながらエルドアンの、報道の自由の問題に対する-これまでの、だが-最大の一撃は、ジュムフリイェト紙のジャン・デュンダル編集長に対するものであることが、前日に行った発表と共に明らかになった。「彼らの関心ごとはトルコのイメージに影を落とすことだ。これを特集記事にした者はこの対価をしっかり払うことになる。私は彼を放っておくようなことはしない」として、ジャン・デュンダルを脅したことで、現代民主主義者ではなく、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が象徴するネオ独裁者が用いたスタイルを我が物としたことを示した。
これらのことから思うに、エルドアンが社会全体を守護し、トルコ国民の一体性を象徴する一人の大統領という称号と特徴を失ったことは間違いではないだろう。
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翻訳者:堀谷加佳留
記事ID:37700