Cengiz Candar コラム:このAKPと連立を組めと!?
2015年06月12日付 Radikal 紙
このような公正発展党(AKP)と、そう「6月7日総選挙の教訓」を学ばず、「内部清算」を行わず、そしてこうしたすべての事柄を行ってから「政権交代」に進もうともしなかったAKPとは「連立政権」を組むことなどできない。やるべきことをしっかり行っているあらゆる政党の、6月7日総選挙の結果に背を向け、もはや「自滅行為」だと言うしか無い。
公正発展党(AKP)は13年もの間、政権を握っていた。トルコの選択的民主主義の歴史において、これほど長く且つ途切れることなく与党であった期間は、他のどの政党にも与えられなかった。
AKPの政権期間に近く、おそらくAKPの記録に並ぶ、さらにはそれを超すかもしれないのは、非常に長い共和人民党(CHP)の単独政権を終わらせた民主党(DP)政権だ。かの政権の未来は、トルコの最悪な伝統となった「軍事クーデター」の第一ラウンドにより、そう1960年5月27日軍事クーデターによって途切れた。
AKP政権の未来はというと、「有権者」つまりトルコ国民の手によって消し去られた。トルコの民主主義的展望は、民主主義の希望という観点から、あらゆるものにとって、そしてあらゆる観点からも劇的な進展となった。
もしAKP政権の未来が、―そして最も重要なのがタイイプ・エルドアン大統領の「独裁者」としての計算が―2015年6月7日に消し去られなければ、トルコはその頂点にタイイプ・エルドアン大統領が立つ「AKPの」ますます暗黒化する伝統へと進んでいっただろう。
6月7日総選挙の「民主的」結果の重要性、非常に重要な側面もここにある。
タイイプ・エルドアン政権、つまり「指一本で操作する」という構造に対し、タイイプ・エルドアン前首相の指示のもとで自動化された「ロボット」へと成り果てたトルコ大国民議会(TBMM)の名誉も、(今回の選挙で)回復されるに至った。
民主主義は、強い制御構造と監督機関があって初めて保証される。施行することがすべて決定的な法律は、AKP政権時代に生まれ始めた。エルドアン大統領の「大統領制」においては、TBMMを完全に「大統領」の「紋章付き」へと変えると思われていた。
これを踏まえて、フィナンシャル・タイムズ紙でデイヴィッド・ガードナー氏が「トルコ民主主義の勝利」と題した昨日(12日)の記事における以下の文章は、非常に的を射ているとともに正確な見解を述べている。
「トルコ総選挙における最大の犠牲者はレジェプ・タイイプ・エルドアン大統領であり、彼は独裁政権の樹立を計画したが、権力を増大させた大統領制にNOを突きつけたことで、トルコの有権者は紋章付きと成り果てる危険性と隣合わせにあった議会を、一つの機関として再び蘇らせたのだ。」
この文書が意味することは明白だ。6月7日総選挙はタイイプ・エルドアン大統領の「独裁」政権に対する「拒否権」であった。そしてそれと同時にAKPを13年間にわたる絶対的な政権の座から引きずり下ろしたのだ。議会の過半数を彼に与えないことで、これは可能になる。
もちろん13年にわたる与党としての習慣や、2023年に向けた計画と先延ばしされた計画は、タイイプ・エルドアン大統領とAKPを政権から離れさせることを非常に困難にする。
タイイプ・エルドアン大統領の「政権に返り咲く方法」が、内閣不成立の危機を受けて2015年以内に「再選挙」を行うことで実現されることがわかるだろう。
タイイプ・エルドアン大統領よりも強く、まさにこの並びで「早期選挙への意欲」はあまり見られない。そもそも6月7日に顕になったこの勢力図の後、もしタイイプ・エルドアン大統領が「早期選挙」を訴えかけたなら、トルコの利益に正反対のものが「早期選挙」であるとして認識されるべきだ。
デニズ・バイカル氏の見解から得られた「私の印象」はこれだ。
AKPにとっては、「政権を握り続けることができる」連立政権の模索が優先事項であることがわかる。
アブドゥッラー・ギュル氏の名前が、期待されていた通り、AKPが敗北したと見做されるであろう6月7日総選挙後によく聞こえるようになり、彼の顔もよく見られ、そして声もよく聞くようになった。
彼が「国民が6月7日総選挙で出したメッセージは、連立政権(を望む)というものだ。投票箱から出たこの意志を無視し、早期選挙を決めることは非常に大きな過ちになる。この過ちはAKPの名前にさらに絶望的な結果をもたらすだろう」と発言したことの表れだ。
一部のAKP党員らも、「連立政権」を模索することで政権を握ろうと主張していることが伝えられている。
またよく登場する彼、そうアフメト・ダヴトオール首相はというと、「56の県で第一党となった。AKPはトルコのバックボーンだ。私の在任中、議会制度との問題は一つもなかった」という発言により、アブドゥッラー・ギュル氏をモデルとしたタイイプ・エルドアン大統領府におけるAKPを含めた連立政権と首相職の座を保持しようとしている。
アブドゥッラー・ギュル氏は、アフメト・ダヴトオール首相に電話をしたという。この件に関する問いに、昨日ダヴトオール首相は「内閣の組閣が正しい方向で行われるよう私の考えを共有した。ただ彼に勇気づけられただけだ」と答えた。
またダヴトオール首相は、(政治方針の)基盤という観点からは民族主義者行動党(MHP)と、「問題解決」の観点からはCHPと「連立政権」を組むことが適切だと話した。
つまり、どの観点からみても「AKPは与党」となるのだ。
しかしその一方で、どの政党にもAKPとの「連立政権」に対する意欲はなく、私が前回のコラムで強調したように、AKPと「連立政権」を組む政党にとって、これは「死の口づけ」を意味するのだ。
このようなAKPと、つまり「6月7日総選挙からの教訓」を学ばず、「内部清算」も行わず、こうしたすべての事柄をしっかり行ってから「政権交代」に進もうともしなかったAKPと、連立政権など組めるはずがない。やるべきことをしっかり行っているあらゆる政党の、6月7日総選挙で出た結果に背を向けて、これはもはや「自滅行為」と言わざるをえない。
AKPが他のあらゆる政党と「連立政権」を組むためには、いくつか条件が出されるべきだ。例えばデヴレト・バフチェリMHP党首は、はっきりとこう述べている。「ベシテペ(大統領宮殿)が明け渡され、チャンカヤ(大統領官邸)に移されるだろう。12月17日から25日にかけて行われた一斉捜査が、再び開始されるだろう。」
「解決プロセス」に終止符が打たれる条件は、決定的ではない。なぜならAKPは「解決プロセス」と発言していただけで、実際に本当の意味で「解決プロセス」に時間を割いてはいなかったからだ。
CHPにとって、AKPと12月17‐25日の捜査資料を公開する気のない政府と共同することは、CHPが自身を否定することになる。シリア政策を頭からつま先まで一変させるという約束もなしに、現状の政策はエルドアン大統領とダヴトオール首相の共同責任下にあるのだが、CHPがAKPと連立政権を組むことは考えられない。
「首都イスタンブル」の「安定性のためにAKP-CHP連立政権を望む」という主張も妥当とは言えない。同じ「環境」、同じ根拠で2002年総選挙前に新トルコ党(YTP)を結党しようと動いたが、その結果はみなの記憶にある通りだ。実現できることもあれば、実現できないこともある。
AKPは「連立政権」という道においてさえも、「再び政権を」と望む前に自身の「内部清算」を行わねばならない。そう、党首でありムスタファ政府の首相でもあるアフメト・ダヴトオール氏が。
彼をこの問題と直面させたタイイプ・エルドアン大統領は、52%の得票率で大統領に選任され、アフメト・ダヴトオール氏をこうした形で「AKP党首並びに首相」として任命した。
アフメト・ダヴトオール首相の任務は、6月7日総選挙を、そしてタイイプ・エルドアン大統領が望んだ「議会制度」をAKPが議席の過半数を獲得する形で勝ち取ることであった。
タイイプ・エルドアン大統領とともにアフメト・ダヴトオール首相も6月7日に敗北した。いかなる根拠をもって、「首相」という肩書により「AKP政権」を継続させようというのか。
同時になんという選挙キャンペーンだったのだろうか。「十字軍反対」、「並列構造とそのすべての同盟国」であると喧伝した3つの政党に向かって、それらすべてとまとめて「戦わなかった」か?そして今、「十字軍」の一部と「連立政権」を組むというのか?
一体どのような「政策」のために?何を実現させるために?
不正という汚点のもと、不正に対する捜査に圧力をかけるために法を逸脱し、選挙の結果として議会の過半数を形成する3つの政党の抵抗にもかかわらず「国内保安法」を提出し、ここ数年は独裁に傾倒したリーダーの「兵隊」という姿以外のアイデンティティをもたないAKPのような政党と、一体どのようにして「トルコの未来」のために「連立政権」を組むことができるというのか。
AKPが自身を変えないかぎり、彼らと「連立政権」を組むことなど不可能だ。
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翻訳者:指宿美穂
記事ID:37821