Oral Calisirコラム:エルドアンの運命とAKP
2015年07月10日付 Radikal 紙
タイイプ・エルドアンがたとえ党に戻っても、党は非常に異なった状況にあるであろう。公正発展党の支持基盤や執行部には、すでに過去と比べて異なる世代がいる。
公正発展党員と話している。彼らは6月7日の総選挙で得票が減少した理由の解明と評価に努めている。タイイプ・エルドアン大統領が街頭演説で公正発展党の党首のように活動したことのプラスとマイナス両方の影響を、意味づける作業である。大統領が今後のプロセスで演じる、演じうる役割、この役割の可能性を問うている。
人びとは混乱している。「早期解散選挙」にそこまでの熱意を見せない者は、エルドアンが「早期解散選挙戦略」を実施した場合の評価には、信じがたいほどの真剣な傾向がある。大統領がここまで介入することを、明確に快く見ていない層がいる。
確かに、これは公正発展党内の一部の傾向である。他の傾向と言えば、正反対にエルドアンの指導下で党が進むことに賛成している。早期解散選挙を必要とみている。党の得票数の減少の本当の理由を、「リーダーシップの欠如」であると考えている。エルドアン大統領のカリスマ的なイメージは、公正発展党の指導を、矛盾したものにしたと同時に、指導力の弱体化にも寄与している。
■ドルマバフチェ協定
思い出してみよう。この「矛盾」が世論の前に最も公然と反映されたのは、政府と人民の民主主義党の指導部との間で行われた「ドルマバフチェ協定」の後におこった。解決プロセスの中でロードマップに関する(「監視委員会」を含む)和解にたどり着いた。この和解は初めて同じスタンスで世論に共有された。
その後、「エルドアン大統領の影響力」が明らかになった。彼は、協定を適切と見ず、「監視委員会」を不必要と述べた。協定は、エルドアンのこの表明によって一瞬にして機能不全なものとなり、政府は困難な状況に陥った。解決プロセスに関するすべての言葉が変更された。最終的に、選挙活動の間にエルドアンが描き、重点をナショナリスト的な言葉にした戦略方針によって、ある方向性を見出した。
確かに、このいきさつをダヴトオール氏とその仲間がどんなに「自然で避けられない」ものと映そうとしても、自らの指導力不足と[大統領の]管理化にあるとのイメージは免れなかった。「2頭体制」の印象はその日以来明瞭性を増した。
■エルドアンの未来はどうなるのか?
エルドアンが「行動の先導主」であるというのは、紛れもない現実だ。党を成功に次ぐ成功に導いたリーダーだ。今も、「不問の権威」のイメージが口にされる。大統領就任、また得票数の減少においても、世論に反映したイメージを変えていない。ただ内部に増している磨り減りと強制が問題だ。
連立政権下では、エルドアン大統領は、公正発展党政権の際に見せたように容易に振る舞い、自身を「不可侵の」存在とみなすのは不可能である。
大統領制は、今回の選挙構図の下、関心の外となった。権威を以前のように振りかざすことを目的とするならば、それは単独政権となる。公正発展党の執行部と支持基盤では「果たして」という問いは、(現在これらは外部にあまり反映しないが)、過去に比べて多く投げかけられている。多くの規範と価値観が昔に比べて議論されるようになってきている。いまだ、「かたちあるすべては蒸発する」ということはないにしても、模索され始めている。
少し話題を戻そう…。早期選挙、単独政権が実現しようがしまいが、「タイイプ・エルドアンと公正発展党の関係」におけるバランスは複雑化するだろう。おそらく、生命と選挙の構図の真実が彼にそれを受け入れさせるだろう。エルドアンは、「全政党に等距離を保つ大統領」という立場を得ようと努めるであろう…。
さて、これらすべてに賛同せずに公正発展党のトップになることを望めば?すべて「振出しに戻すの」は可能か?トルコの周辺諸国がここまで複雑化した状況の中で、公正発展党が模索することは至って自然である。この模索は、時が経つにつれて、現在は計り知れない結果をも得るだろう。少しも望まない挫折をも引き起こしうる。
タイイプ・エルドアンがたとえ党に戻っても、党は彼の離党時とは非常に異なる状況にあるであろう。公正発展党の支持基盤や執行部には、すでに過去に比べて異なる世代がいる。
エルドアンは任期中により「古典的な」大統領として歩み続ける選択をしうる、というのが私の予測だ。
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翻訳者:進藤鮎花
記事ID:38130