Oral Calsirコラム:最初の一歩はPKKの停戦・・
2015年09月07日付 Radikal 紙
どこまでいくのか、何人の命を費やすこととなるのかわからない攻撃の増加を、止める必要がある。PKKはできるだけ早くその武器を下ろすべきである。PKKが停戦をすれば、話し合いができる状況がつくられるだろう。再びテーブルに戻ることができる。
武器を用いるがために、命が失われ、分別のある平和的な解決のために発言することが難しくなっている。平和から、解決から遠く、怒りに満ち、反動的な責任追及中心の空気が、社会を覆っている。
ダールジャ襲撃が聞かれてからこの方、互いに反感を示しあっている者たちは、問題をより難しくしている。曲解、脅し、侮辱が多すぎる。ハリル・ベルクタイ氏がserbestiyet.comで指摘しているように「浸透するフーリガン化」に我々は直面している。
トルコのように(他の何を差し置いても機能する)多党議会制を有し、ある程度民主化を遂げた国で、この暴力や盲目的な分裂はそううまくはいかないだろう…。最も困難な時でさえ、通常に戻ることのできる特徴を持つトルコ社会の保険が、結局は介入すると私は考えている。社会は最終的に新たなバランスを作り、再び形作られることとなる。もちろんこれがどんなかたちで実現するのか、どんな岐路を経るものなのかを予想するのは、以下の点から決して簡単ではない。しかし可能である。
■解決プロセス
私は、解決プロセスを快く支持した。有識者委員会の中に参加した。アナトリアを周り、プロセスが成功に達するために努力したチームの中にいた。問題を話し合いのテーブルで取り上げることのできる時代に入った。PKKがトルコに対し停戦することが話し合われていた。希望に満ちた努力を我々は行っていた。
困難にも我々は気づいていた。内部で、プロセスを全く受け入れない反対者がいた。トルコが問題を解決したら、地域におけるバランスが変わる可能性があった。トルコにおけるクルド人のアイデンティティを認め、クルド人たちと一緒に新たなシナジーを作る見込みは、地域に関し欲得ずくの国々の気に入るものではなかった。
プロセスには脆い面があることを我々は知っていた。
我々が恐れていることがあった。衝突が始まった。犠牲者の葬式や暴力的な環境が、再び我々の日常生活の一部になった。
■狂乱時代
まもなく、我々は新たな選挙を行う。与党と野党の間で、戦争と解決の問題も、争点として話題を占めている。選挙競争は、政治政党を利己的にさせている。解決のかわりに、損得勘定へと集中させている。中東におけるバランスの複雑さが、このアンバランスを強めさせている。意味のある議論の場から発言することはもはや可能ではない。ごまかし、論争、パーソナライズが優先されている。メディアも普通ではなくなっている。皆、敵対者たちを一掃しようとしている。
このような時代に解決策を合理的に模索することは対して興味を引かず、ましてや反感とともに受け取られる。話したこと全てが、混乱した地域の真ん中で分裂した社会で、無意味な状態になりうる。しかし、すべての分裂と緊張状態は、同時に、新たな模索の可能性の中に存在する。どんな戦いと衝突も、永遠には続かない。
■PKKはすぐに武器を下ろすべき
PKKの発表を見ると、「衝突は、エルドアンが始めた。その目的は単独政権を取ることであり、我々はというと、攻撃に反撃しているのだ」という主張が目に付く。
「攻撃に反撃している」という言葉は、あまり説得力が無い。しかし、彼らの言っていることは正しいと、あえて言おう。攻撃を軍が開始したと想定してみよう。そうだとしても、以下の質問に返答がなされなければならない。PKKはこの活動をいつまで続けるだろうか?この方法で、どんな結果を得ることを望んでいるのか?
地域の人々は大きな恐怖を抱き、パニックと不安の中にある。日常生活や経済は膠着している。命と生活の不安の中で、人々のうち可能な者は、街を離れつつある。もちろん、国の西部でも、経済が困難となっている。
「解決の立役者のひとり」であるHDP(国民の民主主義党)は、最近機能しなくなりつつある。合法的な場所で正当な立場に立って政治を行う領域が狭められている。HDPが一時期、「PKKが一方的に停戦を宣言すること」を呼びかけていたのを我々は知っている。
どこまで行くのか、何人の命を費やすこととなるのかわからない、攻撃の増加を、止める必要がある。PKKはすぐに武器を下ろすべきである。PKKが停戦をすれば、話し合いができる状況がつくられるだろう。再びテーブルに戻ることができる。
30年に渡る衝突が一度の攻撃で終息することなど不可能である、これは真実である。2013年に始まった解決プロセスで、多くのことが学ばれた。クルド人たちの多くは、ともに解決をいっそう信じた。トルコの西部でも、その日からこのかた、重要な社会学的変化が起こった。しかし、我々はまだ道の本当に始めのところにいるのだ。
現在の争いは、一緒に解決の可能性をも犠牲にしている。クルド人たちは現状にどの程度同意することができるだろうか?中東の中でトルコを標的とする、つまり統一を標的とする動きをどの程度肯定的に見ることができるのだろうか?
解決の模索は続けられるべきである。
この狂乱状況においてさえ…。
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翻訳者:鈴木歩実
記事ID:38608