Ismet Berkanコラム:高等教育機構(YOK)の陥っている隘路
2015年10月31日付 Hurriyet 紙
明日(11月1日)は選挙の日だが、選挙や政治については来週必要以上に語ることとなるだろう。
では、今日のトルコでは何らかの理由であまり語られてはいないものの、本来は政治に関する物事の中でわれわれの見に起きていることを含むすべての問題の根本である教育について、今回は話そうと思う。
高等教育機構(YÖK)は昨年ある決定を下し、医学部並びに法学部への入学に対して一定の敷居を設けることにした。YÖKは今年、その敷居を工学部にまで拡大させようとしている。
まず、この敷居とはどういうものなのか、そしてなぜこうしたものが必要とされたのかについて考えてみたい。YÖKは医学、法学、そして来年以降に工学部に入学する学生たちが、明確な成果を収めることを望んでいる。単に基礎点を公表するだけでは足らず、学生不足の私立大学が定員割れした分を穴埋めするために合格点を引き下げることも良しとしないYÖKは、上述した学部に入る段階で一定の敷居を設けることにした。ここ数年、大学で基礎的な科学教育を行う理学部への出願数は下がる一方だ。これらの大学の基礎点は、大抵が経営学部よりも低い。このように非常に低い点数でこれらの大学に入学した学生たちが、授業でその成果を示せないことは決して驚くべきことではない。
YÖKは現時点では医学、法学、そして工学部においてこうした措置をとっているが、明日の選挙次第ではこうした措置も全く役に立たなくなってしまうかもしれない。基礎的な数学や科学の知識もなく高校を卒業した生徒が、医学を修めることなどできるわけがなく、それは工学も同様だ。しかしこの解決策として正しいのは、医学や工学、あるいは基礎科学教育のレベルを下げて学生を卒業させるようにすることではなく、その大学に入学する学生のレベルを上げることなのだろう。
そもそもの話をすれば、(今回の敷居の設定は)YÖKが管理している場所での一つの方法ではあるが、この解決策は性質的に短期間且つ暫定的な解決策とならざるを得ないのだ。
なぜなら、YÖKをこうした措置を取らざるを得ない状況に陥れたもの自体が、トルコにおける高校教育の粗悪な実態であるからだ。そして、このクオリティーに関する問題を解決できなければ、いつの日か大学試験で上位1万人の中に入った学生でさえも医学を学ぶ上で力不足な状況が訪れることになるだろう。こうした理由でYÖKは今、隘路に陥っている。この問題を解決するのは、YÖKだけではない。これは国の問題であり、解決するのは政治組織なのだ。
■3つの基礎分野に焦点を当てる
トルコにおける教育は、残念ながら最低水準まで落ち込む一方で、明確な歩みで前進し、且つわれわれは問題の解決に焦点を当てた文化を有していないために問題を引き伸ばせる限り引き伸ばしていて、問題そのものも優先順位の下位へと追い込んでいる。下降し続けるこの底辺のレベルから這い出すためには、抜本的な一歩が必要だ。こうした歩みの一部が行政であり、そしてもう一部が教育の質に関することでなければならない。
行政的な一歩は、比較的踏み出すのは簡単だ。これらの先頭に教育の中央部としての特徴を持たせることは、管理され且つ明確な基準を有したローカルな率先力に教育が場を開くことを意味する。
一方で非常に困難で、且つ骨の折れることは、教育のクオリティーに関して基準を明確にすること、そしてこれらの基準を適用することである。クオリティーの下地を引き上げ、学生をその高いレベルまで引っ張り上げるためには、教師を新たに学ばせること、意欲を起こさせることが必要だ。
(しかし)TEOG(初等教育から中等教育に進むための試験)の結果や大学入試の結果を見てわかる驚愕の真実とは、以下のことである。それは、自身の母国語で書かれた文章を理解できない、自身の母国語で表現できない、基礎的な数学や科学のスキルももたない何百万もの子どもたちが学校に通っていることだ。
学校よりも、何よりもまず、この3つの基礎分野で子どもたちに十分な成果を収めさせることが必要だ。
この3つを十分に習得できていない何百万人に対して、複雑で取るに足らないこのマイノリティーに対して、今のところは世界水準の教育を行うことができている。しかし、今のところはだ。なぜなら崩壊が進むほどに、こうした状況がエリート学校にまでも達しないという保証はないのだ。
■悪循環
3つの基礎分野、つまりトルコ語、数学そして科学の分野で十分な学力を備えた学生たちが、高校から教師を育成する大学でと進学する。
教師を育成する大学に入学するために必要とされる基礎点は、非常に低い。さらにはこれらの大学を卒業した教員候補者たちも、そもそもが極めて質の悪い教育を受けており、(学力的に)不十分なまま卒業しているのだ。
そしてその後、彼らは2回の試験を受ける。一つは一般的で国家公務員の登竜門として学力を計る試験、そしてもう一つはすべての教員候補者が自身の専門分野で受ける試験だ。教員採用試験の結果は、本当に驚愕するレベルで低い。試験を受けた人々の中で、一定以上の成績を収めた者は国家公務員に採用されている。
そしてこの試験の結果、教師となった人々が次の世代の子どもたちを教育し、この子どもたちのさらに一部が教師を目指していく。
これこそが悪循環なのだ。そしてこの悪循環を断つためには、高等教育を少なくとも3つの基礎分野で十分な世界水準にまで到達させることが必要なのだ。
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翻訳者:指宿美穂
記事ID:39021