Mehmet Y. Yilmazコラム:有権者は野党に何といったのか?
2015年11月03日付 Hurriyet 紙
あらゆる選挙の後で、「投票者はなんと言ったのか」と解釈をすることが常となっている。
有権者は票を投じる際に、本当に、そう言いたいと思ったのか、それとも、もっとずっと軽い気持ちで行動したのか、それは特に重要なことではない。
有権者は、個人として投票を行う際に、「私はこのようなメッセージを申し上げましょう。そして、我が国の政治家たちはそれを理解して、その要望に従って行動してください。」などとは言わない。
有権者には、各人の投票の理由が存在している。しかし、過去の有権者の投票行動を一纏めにすると、ここに一つの政治的なメッセージが発生する。このメッセージを正しく理解したのか、そうでないかは、次回の選挙で明らかになる。
まさに6月7日に連立政権樹立という方向で票を投じた有権者は、このメッセージが受け取られないと知ると、今回は、単独政権の道を選んだのだ。
有権者が今回与えたメッセージを正しく解さなければ、次回の選挙でも今回のような結果がもう一度繰り返されるだろう。
有権者は、ケマル・クルチダオールに、デヴレト・バフチェリ、人民民主党(HDP)のセラハッティン・デミルタシュとフィゲン・ユクセキダ―共同党首に、きっぱりと、「あなた方は力不足だ」と言ったのである。
■ケマル・クルチダオールと共和人民党(CHP)
クルチダオールは、党首となって以来、全ての選挙で勝利を納められなかった。野党第一党が、政権の座に就くという願いを叶えることは出来なかった。これには疑いなく、党のイデオロギー姿勢が、社会に対して力強く訴えられなかったということがある。
だが、党首として、世論がどのような野党を、そして政権候補を望んでいるのかということを把握・理解し、党をその方向へと導くのが、彼の仕事であったが、そうできなかった。
以下のことも指摘しなければならない。CHPが新しく生まれ変わらなければ、この問題も、この党は解決できない。
CHPは、高い可能性で、さらに長い期間、これを実現することはできないだろう。なぜなら前党首デニズ・バイカルが導き、錠をおろしてしまった場所から党が抜け出すことは、簡単ではないからだ。ここから出るには、CHPが徹頭徹尾、完全に新しく生まれ変わることだ。
政党法が党をつかさどるグループに与えたアドバンテージを脇にやり、民主的な政党として、自らを刷新することだ。
政策が党員の意思をくみ上げて正しい民主主義的なプロセスに則って構築され、政党の全メンバーに発言の機会を担保する、ということを言っているのだ。
つまり、[真の意味で]社会民主主義的政党となる必要があるのだ!
これを短期間で実現できないというのもまた事実ではあるが、この変革と転換をどこかで始めない限り、CHPは、2019年と2023年の選挙の政権候補となることに再び失敗してしまう。
そして疑いの余地ないことだが、これを実現するために、決断力のあり、タフなリーダーがやはり必要だ。
トルコは、結果として、[西側ではない]アジア社会であり、こうした社会にはリーダのカリスマ性への期待があり、今後もあり続けるからである。
■デヴレト・バフチェリとMHP
今回の選挙で議論の余地なく、最大の惨敗を喫したのは民族主義者行動党(MHP)だ。
僅か5か月前には、連立政権のカギであり、政権の座に就ける可能性があったのにもかかわらず、今や得票制限率10%を超えられたことに喜ぶ政党となっている。
5か月間で様相が完全に逆転してしまった理由は、デヴレト・バフチェリの、どの問題に対しても、解決策を提示しないという反対論[姿勢]である。
6月7日の選挙の夜に「国民は、我々に、最大野党の任務を与えた」と言って、政局運営に乗り出したが、その日以来、彼が本当に何がしたいのか理解できた人は誰もいない。
公正発展党(AKP)がトルコ大国民議会議長職を提示して、この党が一服し、新たな気分でことに取りかかることになったのも、ご愛嬌だ。
デヴレト・バフチェリが自党に対して「小さくあれ、そして私のものに」という考えを簡単に捨てることも、ないように見受けられる。問題は、MHPが今後もデヴレット・バフチェリを捨て、去ってしまえないことである。
政党法が党執行部に認めたアドバンテージのために、MHP内でバフチェリ本人が望まない限り、転換と変革を期待するのは難しい。
党内にこの点で強力なライバルがいるのか、反対勢力が自らのリーダをバフチェリと対抗させるできるのか、ということも今後目にするだろう。
MHPの根本的な問題は、民族的・保守的の有権者に訴えかけることのできる非常に力強いAKPの存在感だ。
AKPとMHPの投票民が5か月の間で、二つの政党間を簡単に行き来できてしまうのは、MHPが[篤信家が着用する]タッケを前面に押し出す必要性を示している。
同じような層に対し強力なライバルがいる中で存在感を示すには、この党が「新しいこと」も発言することで可能であり、そして今日の党内執行部では、これは不可能であるように見て取れる。
■デミルタシュ、ユクセキダーとHDP
6月7日後の最も重要な問いかけは、PKK(クルド労働者党)の戦闘指導部が、この党の成功を認めるか認めないかということだった。
HDPが力をつけたことは、クルド人問題が民主的な手法によって解決できるという期待を高め、PKKが「私は何をすれば」と自問自答する道へ導き、そしてそれに対して周知の返答をよこした。
スルチにおける爆発をきっかけに、和平プロセスにより地域が力を付けたことで大胆にも、PKKは決して成功しないことを開始した。何千人もの人びとを、そうと知りつつ、死への道へと送り出し、毎日、何十人もの犠牲者の葬儀が行われるという事態を招いた。
民主的自治宣言ような、生半可な夢を抱いて、地域の都市を地獄へ陥れた。HDPの力は、PKKのこの攻勢を止めるには及ばなかった。これは、疑いのないことだ。
PKKがその手に武器をもち、こうした決定を下して行動に出た際に、HDPに望まれたのは、この動きに対し力強い姿勢を示すことだった。
HDP執行部たちは、これも実行できなかった。セラハッティン・デミルタシュの
発言は、効力を発揮せず、党の他のメンバーたちと組織は、いわば、デミルタシュを支えなかった。当人に向け、これを理由に、彼らはてんでバラバラに発言した。
このような政党が以前手にした「期待込みの」票を失うのは、避けられないことであり、得票率制限を超えられたということも、奇跡といえる。
もしも同じ政治運営を続けるのであれば、次の選挙でも今の票でさえ獲得することができないというのは、当て推量とはいえない。
この党は、PKKの陰から、その後見から免れることはできるのだろうか?今日の党のあり方からは、それが大変難しいということができる。
しかし、今彼らの前には、チャンスがある。兵士として敗北を被り、その勢力の大部分を使い果たした組織に対して、今声を上げなければ、これも彼らは逃してしまう。
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翻訳者:堀谷加佳留
記事ID:39081