Oral Calislar コラム:ギュレン派12月17日事件の2周年に・・・

2015年12月19日付 Radikal 紙
クーデター計画から2周年を迎え、パラレル組織は未だに野党からある種の味方として受け入れられている。

ちょうど2年の2013年12月17日の朝、私はジャーナリスト・作家財団の幹部からクズグンジュクにあるゲストハウスでの朝食を招待されていた。私たちが朝食をとりつつ会話を続けていると、客間のテレビ画面に「大臣らの子息が汚職で逮捕された」というニュースが流れた。

私はそのニュースに気を取られ、ニュースに釘付けになった。「この事件をジェマートがやったと言う人が出てくるだろうが、あなたもきっとそう言うだろう」と言いつつ、彼らは問題の本質から離れたところに関心を示していた。私も「このような大規模な捜査はジェマートのみできるだろう」と話し、自分の見解を伝えた。

それから1週間後、2回目の捜査が行われた2013年12月25日の夜、私はハベルチュルク局の、エジェ・ウネル氏によるニュース解説番組にゲストとして出演していた。今現在起きていることはある種のクーデター計画であるということを、私は詳細に語った。この2年間で、私の考えに変化は起きなかった。その番組で、私は以下のように話している。

「(1998年)2月28日過程では、政治が政治以外の方法によって、そして様々な手段によって抵当に入れられ、無きものにされた。今、われわれは再び同じような事態に直面している。こんなことを認めてはならない。もう十分だ、そう、今の与党も民主主義という点では深刻な弱点を抱えていると私は捉えているし、そうコラムでも書いている。私はこれからも書き続けるが、今はその詳細を書き連ねる時ではない。このシナリオは、選挙によって選ばれた政府の信頼を失墜させ、無きものとし、選挙を経ていない者たちが統治する新たなトルコを生み出す計画なのだ。私はこんなプロジェクトを認めはしない。2月28日過程や4月27日事件も認めていないというのに、このようなプロジェクトを認めることなどできるわけがない。私は野党に投票するが、投票してもそれはそもそも私の意思の表明だ。しかし、それが私の意思表明であるにもかかわらず、他の人々が異なる方法でこの意思を抵当に入れるようなことはやめてほしい。」

■危機的な閾値

政府を倒し、首相を投獄して司法や警察が優位に立つ秩序を構築することを目的としたプロジェクトと私たちは直面していた。汚職のような非常に危機的で、且つ社会心理に影響を及ぼす可能性があるということを根拠に彼らは動き出したのであった。

この企てに加わっていた人々が、どのような陰謀や策略を打ち出していたのかは、時の経過とともに明らかとなった。軍や司法、警察そして官僚の中に、どのような非合法な方法で広まっていったのかが明らかになるにつれ、取り払われたこの危機は多くの異なる観点から評価され始めた。

野党の重要な立場にある人物は、この事件を単なる「汚職との闘い」というレベルで捉えようとしていた。これは今でもほとんど変わっていない。本来なら、この規模の事件が単なる汚職というレベルで評価されることもある種の汚職として考えることができるだろう。

ギュルビュズ・オザルトゥンル氏は、2015年12月17日にセルベスティイェット.コムで配信された記事の中で、この件について言及している。事件を汚職という限られた見方で捉えようとする人々を、彼は以下のように批評している。

「トルコでは、われわれの目の前で大混乱が勃発した。ジェマートは与党を表から攻撃した。事件を汚職という限られた見方で捉えようとする人々は、ジェマートについて、この組織が一体何者なのか、どのようにして生まれたのか、その役割とは何か、社会的、イデオロギー的、政治的構造とはどういったものなのか、グローバルな拡散とはどういった意味を持つのかといった問題に全く『興味がなく』、そうした問題に口を閉ざした人々であり、さらにはそうした仕事の存在を否定する段階まで洗脳された人々だ。彼らの一部に尋ねてみたならば、ジェマートは与党の汚職を覆い隠すために無から生み出された仮想の組織である、(と答えるだろう)…そう、こんな事をいう人まで出てきた上に、彼らはそれを恥もしないのだ。」

■2年後

トルコは一連の大規模捜査により、あらゆる方向で被害を受けた。パラレル組織による「プロジェクト」によって、「汚職との闘い」という問題が第2計画へと移された。本当の事件と虚構の事件が、そして第一の事件と第二の事件が区別されえず、ロビー活動や汚い関係がどこで終わりどこで始まったのかもわからない混乱した雰囲気の中に私たちはいた。

そうした日々の中で極めて重要視されたことは、「クーデターの回避」であった。(つまり)国家の中で非合法な力を有する状態へと変化した構造が清算されることであった。この2年間、こうした闘いは前面に打ち出された。

クーデター計画から2周年を迎えて、パラレル組織は未だに野党からある種の味方として受け入れられている。司法は、このプロセスの影響もあり、深刻な問題に直面している。政治と司法の関係は、おそらくこれまでは全くなかったほどに複雑なプロセスをたどっている。

結論として、12月17日と25日のクーデター計画事件は回避された。しかし、この事件は政治的要素や社会心理、そして国家バランスにおいて非常に大きな傷口を開くこととなった。


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翻訳者:指宿美穂
記事ID:39427