Joost Lagendijkコラム:デミルタシュに悪夢の一週間
2015年12月26日付 Zaman 紙
先週は、人民の民主主義党(HDP)のセラハッティン・デミルタシュ党首の政治人生にとって全くもって良い週ではなかった。
彼は、モスクワ訪問が原因で政府と口論し、さらに重要なことには、南東部でPKKにつながる若者たちによって宣言された自治区に関する彼の立場について疑念を生み出した。
まず、デミルタシュ党首がロシアのセルゲイ・ラヴロフ外相と会談を行なったことと、トルコが11月24日にロシアの戦闘機を攻撃して撃墜したという方向の説明をしたことは間違っていた。アフメト・ダウトオール首相はデミルタシュ党首の批判に反論し、さらにはHDP党首を祖国への裏切りとして弾劾した。
この非難の強硬さは、ロシア機墜落がトルコにとっては非常に大きな問題をもたらしたこと、また振り返って見るととても賢い行動ではなかったことをダヴトオール首相が非常によくわかっているのではないかという疑いで説明されうる。トルコの、かなり不注意で軽率な決定は、合法的であったと言いうるだろう。しかし、トルコにとってもアンカラ政府が支持するシリア反政府派にとっても非常に多くの予測していなかった悪い結果となった。
これと同時に、デミルタシュ党首の訪問のスケジュールも不運であったと私は考えている…より以前から計画されていたものの、簡単に延期できたのだ。さらにデミルタシュ党首がモスクワでこのような説明を行うことが、トルコ国内で好意的に受け止められないだろうということ、シリアのクルド人がトルコのシリア国境中でレッドラインを越えることに関して操るプーチン大統領の努力において、ロシア-クルド合意があるという疑惑を強めることを推測する必要があった。さらに、もしデミルタシュ党首が独立したアクターとして見られることを望んでいたなら、シリアのバッシャール・アサド大統領に対し戦う穏健派のシリア反乱軍を躊躇なく爆撃していることについてモスクワを批判する機会をなぜ行使しなかったのか?
いずれにせよ、デミルタシュ党首のモスクワ訪問は、アンカラにおける状況を改善しはせず、実際には6月7日の選挙以降HDPとその党首の面目を失わせようとしていたAKPの手に切り札を与えた。この切り札とは、一見すると、いずれ新たな交渉ラウンドの席につかざるをえない与党が、交渉の相手として選挙で選ばれたクルド人政治家たちではなく収監中のPKKリーダー、アブドゥッラー・オジャランを選ぶだろうことを示す、近視眼的な戦略である。これは、将来の会談にHDPが指導的役割を果たすことを決して望んでいないPKKの強硬派によっても、おそらく共有される選択だ。
AKPとPKKの間に板挟みになっているデミルタシュ党首とHDPにとって、このゲームで残るための唯一の道は、自分たちを必要不可欠な対話相手としてアピールすることと、それに従って行動することだ。この意味においては、先週は特にひどかった。デミルタシュ党首は多くの利益のない不明瞭さをもたらしたのだから。デミルタシュ党首の説明を読めば、以下のように考えざるを得ないだろう。全ての陣営の重圧に晒されているデミルタシュ党首は、自分を、現状の窮地から救われようと努めているトルコ人とクルド人から見て認められ尊重される政治家とする明確な方向感覚を失っている。
VICE Newsへの声明と議会で行った記者会見で、デミルタシュ党首は、唯一の出口は平和プロセスの継続であるという以前の立場を維持した。「再び『はい、私たちはこの問題を衝突によって解決することはできません、この問題を戦争によって解決することはできません』と言うような意志を表明することが必要だ。そして両陣営の間で振り回された信頼が再び強化され、更新されることが必要だ。」
しかしデミルタシュ党首は同じ日に、いくつかの大きなクルド人の町での外出禁止令と無差別攻撃に対し、標準的なPKKの防衛線とまったく変わらない形で攻撃的な態度で反発した。金曜日(12月25日)にジズレとスィロピの市民へ「戦線の拡大」を警告し、「名誉ある抵抗」を呼びかけた。数日後、これらの町の塹壕やバリケードを6月7日以降AKPの攻撃と表したものへの理解できる反発だと述べ、自治宣言は与党の独裁に向けられたものであると述べた。
これは、多くの怒りと深い失望を感じた人が使う種類の言葉だ。正当な理由があることには疑いはない。しかしこれは同時にデミルタシュ党首をトルコ西部の大多数の支持者から遠ざけさせ、さらに危険なことには、デミルタシュ党首が両陣営の強硬派を圧倒し、トルコ国内外の多くの人々のために希望の灯であり続けることを不可能にする発言だ。
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翻訳者:永山明子
記事ID:39491