Cengiz Candar コラム:ジュネーブのテーブルか、シリアの現場か?

2016年01月30日付 Radikal 紙

トルコ政府がジュネーブでのシリア和平協議に参加し、PYD(クルド民主統一党)の参加を防いだと考えたとしても、今「ジュネーブⅢのテーブル」にいるよりもむしろ、将来「シリアの現場」にいることのほうが重要であるということが、今後より一層明らかになるだろう。

平和会談や平和協定でその名を知られるスイスの首都ジュネーブが昨日、シリアに関する「ジュネーブⅢ」という名の新たな「平和への動き」のホスト役となった。
2012年6月と2014年12月の、「結果なし」のジュネーブⅠとジュネーブⅡを経た後の今回の会議だが、1つの結果を得るという点から、これまでよりも「前進する可能性」は「より低い」ように見える。
ガーディアン紙(英)は昨日、ジュネーブⅢについて厳しく批判する記事を掲載した。その最後の文は以下のようであった。

「議論したという実績のために議論をすることは、シリア問題が前進したと欺かせることが出来るかもしれない。しかしこれはシリア人、そして同時に西洋の安全にとっては、大きな負担となるだろう。偽りの外交は、外交ではない。」

 しかしジュネーブⅢは、これまでの会議と比べて以前よりもずっと安定した基盤をもっている。まず2015年12月に決定された国連安全保障理事会の決定(第2254号)に依拠している。米国とロシアは初めて、少なくとも安全保障理事会の決定という場所で落ち合うことが出来たのである。
 ウィーン・プロセスは、このようにして可能になった。最も重要な進歩は、イランとサウジアラビアを同じテーブルにつかせたことであった。そしてあらゆる前進の結果、ジュネーブⅢへとつながったのだ。
 それでは、最も強力な背景の下で準備されたジュネーブⅢが、どうして「最も脆弱なジュネーブ」のように見えるのだろうか。

それは、参加者が最後の最後まで明らかにされず、さらに参加者について意見の一致がなされなかったためだ。結局、ジュネーブⅢは昨日、「始まる前に終わった」と思われないように、国連のデミストゥラ特使がシリアの体制派とのみ対談するという形で始まった。
この時点で、ジュネーブⅢへシリアのクルド人代表、反体制派としてPYDが参加することを、トルコが「ボイコット」という脅しで「ブロックしたこと」は、「トルコ外交の影響力」を誇示してみせただけで、シリアの現場における「力の均衡」を自身の有利になるよう変えなかったことから、実際には何の実りもないように見える。

興味深いのは、PYDだけが招待されないことが判明すると、PYD自身は加入を諦めたが、その盟友が加入する「シリア民主議会」に加え、「国際的に承認された」反体制派もまた、ジュネーブを「ボイコット」すると述べたことだ。
 つまり、トルコ-サウジアラビア-カタールの3か国が形成する、武装―イスラム主義―サラフィー主義を掲げる反体制派を抱える「リヤド高等交渉委員会」だ…

 会談の日まで、「誰を真のシリア反体制派と見るべきなのか」という議論が行われ、招待された人々でさえ、不満を口にしてジュネーブⅢに抗議した。

 「高等交渉委員会」のコーディネーターとなった、リヤド・ヒジャブ元シリア首相は、ジュネーブ会議に参加する前段階として、反体制派の勢力下にある地域を「飢餓の脅し」に晒している「政権封鎖」の解除と、樽爆弾の攻撃の終息を求めていた。
これはもっともな要求だ。昨日までその返答が見られなかったため、リヤド・ヒジャブ氏がケリー米国務長官と非常に緊迫した会談を行い、サウジアラビア側がジュネーブⅢをボイコットしないようかなりの圧力をかけたことは、各新聞で報道された。
欧米メディアやアメリカが「承認した」シリア反体制派は、アメリカ政府が、ロシアとイランが形成した議題に沿って
シリア政策を遂行していると批判している。

 例えば、ケリー国務長官は土曜日(1月30日)、リヤドにおいて、ジュネーブⅢ参加予定の一団に対し、「彼らはアサドの代用品として有効ではなく、モスクワとテヘランの提案を受け入れる必要があること」をはっきり述べたそうだ。この「情報」がメディアに流れると、アメリカ側は「意図的に事実を歪曲した報道」だと抗議した。
 ケリー国務長官がシリアの反体制派代表に言ったことは、トルコが宣言されていたシリアの立場に対して180度真逆であった。

 ところで、シリアのクルド人たちについては、アメリカとロシアの「両国が承認した」とみなされている。「シリア民主議会」のクルド人共同代表であるイルハム・アフメド氏は、昨日ジュネーブでこの件について会見を行った。最も興味深い部分の1つを例として紹介しよう。

―…ジュネーブⅢへの参加者が明らかになって(つまりPYDが招待されないということ)から、ロシアとアメリカの一行と対談を行いましたね、ここではどのようなことが話されたのでしょうか?
「我々がどうしてジュネーブⅢに参加しないのかということが主に議論されました。ロシアはこの状況について非常に困惑しており、このような決定がなされるとは知らなかったとして、状況の改善を要求すると言いました。アメリカ関係者らも同様に、この状況は受け入れられるものではないが、彼らの上にもかなりの圧力がかかっていると述べていました。
ロシアにもアメリカも、我々に忍耐強くあるよう望んでいます、『今回のプロセスに参加しなくても、次回以降は参加できるでしょう』と言うのです…」

 ―それでは、アメリカとロシアはその後今回の会談に招待される人々の名前をあなたに伝えましたか?

 「PYDの共同代表であるサリフ・ムスリム氏はジュネーブにいなければならないが、この段階ではもう少し待つ必要があると話していました。彼らによれば、サリフ・ムスリム氏はこの辺りでとどまるべきであり、今後行われる会談の内容は彼にも伝えられ、その後はムスリム氏も直接会談に参加するそうです。もちろん、始めに述べたようにこれは単なる口約束です。我々は彼らに対して決してこれを受け入れることはできないと伝えました。
アメリカ側は、民主シリア勢力がシリア地域でテロを終息させる力を持っていることをよく分かっていました。そこで今回、軍事的に共闘することにしました。しかし彼らはこの共闘を、ただ軍事的部門のみにとどめたのです…」

 サリフ・ムスリム氏はさらに興味深いことを話した。PYDの共同代表は、ジュネーブでの会談に招待されなかったことについて、トルコの役割を決定的なものとしてみなしていない。Voice of Americaに語ったサリフ・ムスリム氏は、ジュネーブに招待されなかったことについて、トルコの役割は「ネガティブ」だと述べたが、「しかし、我々は決定を下したのはほかの人物だと考えている、トルコではない。アメリカ、ロシア、そして国連だろう。しかしどうしてこのような決定を下したのかは我々にも分からない」と述べた。

 トルコ政府がジュネーブでの会議に参加したとしても、そしてPYD(民主統一党)がジュネーブへやって来るのを防いだと考えたとしても、今「ジュネーブⅢのテーブル」にいるよりもむしろ、将来「シリアの現場」にいることのほうが重要であるということが、今後より一層明らかになるだろう。
 シリアの「武装勢力バランス」が、2015年の9月30日のロシアの「軍事介入」によって変わったことについては、ほぼみなが同意見だ。

 「政権」はそのおかげで、2015年に入って以降支配を失っていた18%の領土を取り返した「政権」となり、現在当初の1.5倍の土地を取り戻した状況だ。

 シリアのアラブ人のうち75%は、「政権」の手中にある土地で生活している。PYDとYPG(クルド人民防衛隊)の支配下にあるロジョヴァにいるのは、シリア人口のうち10%ほどだ。ISは広い領土を制圧しているが、それらの土地での人口は少なく、またまばらである。トルコが支援する勢力の手中にある領土には、シリア人口の5-10%ほどが暮らしているが、その土地はロシアの空爆によって「政権」の手に落ちるか、あるいは人々がいなくなるかだ。

 トルコ政府に尋ねよう。ヤイラ山の南部には、「バユルブジャクのトゥルクメン人」たちのうち何人が残っているのか?町の中心にあったラビア村が占領されてから、トゥルクメン山は数日前誰の手に渡ったのか?

 さらに言えば、今後政府がアレッポ北部のジャラーブルスやハラブ周辺でどれほど権力を握ることが出来るのかも疑い深い。
 ダヴトオール首相はといえば、「シリアの将来において、トルコが望まないようなことは何もない」という。
 正しいことを言っている。トルコの将来において、彼らがいなければそのようになるだろう…。


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翻訳者:木全朋恵
記事ID:39765