Oral Calislar コラム:この狂気の沙汰はいつまで・・・?
2016年02月27日付 Radikal 紙
我々は、理性や知性といったもので説明するのが難しい状況におかれている。現在の構図が、クルド人にもトルコ人にも、ポジティブな形で反映する可能性はないだろう。
トゥルクサットを通じて行われていたİMC TVの放送が終了した(注: İMC TVは、2011年に放送を開始したテレビチャンネルで、左派からの支持を得ていた)。人民の民主主義党(HDP)議員の不逮捕特権剥奪についても、議会で議題となりそうに見える。
ジェミル・バユク氏はカンディルから、「最後まで戦う」「我々が望むように、そちらがこの周辺地域を我々の支配下として認めるか、そうでなければ全ての地を火の海にする」と言っている。
ディヤルバクル県のスル地区からは、連日、死に関する報道が絶えない。ここのところスル包囲停止が要求されている。「さもなくば、200名近くの人々が命を落とす」と言われている。
スルの状況を見守っているグループは、身動きが取れなくなっている人々を救出するとして、24時間の包囲停止を提案している。県庁はといえば、 「1時間半と最後の生きるチャンス」であれば許可を出せるとしている。ジズレでの似たような「痛ましい結末」が、スルでも実現しないことを願う以外、何も出来ることはない。
■クルディスタン労働者党(PKK)ストラテジー
「アンカラ虐殺」(注: アンカラで2月17日に発生した爆発事件)を受けて、 トルコにはっきりと、「わたしの条件を飲まない限り、戦いを続けていく」というメッセージが送られた。
我々は、理性や知性といったもので説明するのが難しい状況におかれている。現在の構図が、クルド人にもトルコ人にも、ポジティブな形で反映する可能性はないだろう。
トルコに方向性を与えた意思を見てみると、「世界中どの国でも、その国の法律が適用されない秩序に対しては、許可は与えられない。我々トルコが何をすることを期待しているのか。街々を、PKKの支配に委ねろとでも言うのか?」という立ち位置を変えていない。
■HDPは閉塞状態
HDPは、完全に麻痺してしまった状態だ。PKKが強要した衝突ムードの中で、愛国革命青年運動(YDG-H)が支配下に置いた街区の包囲を解くために奔走する以外、何も出来ることはないかのようである。党の運命を、塹壕をほった場所で抵抗することまとめ上げてしまったかのようだ。
HDPの立場に立ってみると、「暴力と政治」というジレンマの間に立たされたと述べることが可能だ。自爆や地雷でもって衝突を過熱させるPKKを批判する力もなければ、彼らに反対できるエネルギーも持ち合わせていないのだ。
政府が厳しく臨んでいることも、HDPをなす術のない状況としている。
このコラムで、何度も何度も、HDPが問題解決のために、ある政治的なチャンスがあると説明に努めてきた。以前は、トルコで支配的な層は、この選択肢をほぼ不要のものだと捉えていた。しかし、こうした政党が絶え間なく閉鎖される時代はもう終わったのだ。
長期に渡り、HDPは合法的に活動を続けている。重要な支持者を獲得した。しかし勝利したはずの合法的な場所は、PKKの新たなストラテジーで塞がれたように見える。
■1つの出口
PKKは、何を獲得したいのだろうか?「私がこの地域を管理する」という精神は明らかだ。このことが法に適った、法的な土台のもとに話され、議論されることは可能なのだろうか?もう1つ他の質問をしよう。武器を用いて得られると思われている、とある地位は、彼らの中でも、「新たな権威」の創出以外の結果を生み得るだろうか?我々はあらゆる状況で、クルド人にとっての、非常に大きなハンディキャップに触れているのだ。
■トルコの防衛反応
トルコ共和国は、主権ある統一国家として、一体とその永続が危機的状態にあることを感じている。シリアでその力を強めているクルド民主統一党(PYD)は、「脅威」が国際的な足場を置いていることと認識されている。この考え方で、ある防衛反応の中で、PKKの動きに厳しく対応している。
PKKは、永続的な結果を得られるのだろうか?どのような結果になろうとも、今までのように、最も大きなリスクは、その地で暮らす人々の背中にのし掛かるのである。
この構図は、こうして、国にとっても続き得るものではない。そう、兵士として、塹壕がほられた都市や街区はYDGHの支配から救われるかもしれない。再び支配下に置かれるかもしれない。しかし、これら全てが、どれ程に破壊的で、破滅的な結果をもたらすかということを、この3ヶ月の間に経験し、目にしてきたのである。
国際的な場においても、行われてきたことが、かなりの批判を受けてきたことを目にすることが出来るのである。
PKKは、トルコとあらゆる架け橋を捨て去る戦略を進めようとしている。しかし、トルコにいるクルド人の恐らく半数以上は、西部の都市で暮らしている。衝突が起 きた場所で、 PKKによる支配が何をもたらし、何を持っていくのかということについて考えて、秤にかけている、と述べることが可能である。しかし何であれ、クルド人たちが、「トルコとの敵対」という形で作られた政策を、長期間に渡って支えるとは思えない。
解決のない、また終わりのないこの状況に、どのように終わりをもたらすことが出来るのだろうか?
この狂気の沙汰は、どこまで続くのだろうか?
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翻訳者:木全朋恵
記事ID:39933