イジュティハードの試験に招待された者たちは、ウラマーや宗教的権威が学術的側面から認めた正式のエジャーゼ〔※イジュティハードをする許可〕を無視する「逸脱」(ビドア)であるとして、護憲評議会のこのやり方に抗議した。
メフディー・キャッルービー〔※元国会議長。現在自宅軟禁中〕、ハルハーリー〔※革命裁判所の判事として、多くの人物を即決裁判で絞首刑に処した人物として有名〕、セイエド・ホセイン・ムーサヴィー=タブリーズィー、ジョンミー(アーバーダーン金曜礼拝導師)、モフタシャミー〔※元内相〕、モンタジャブニヤー、セイエド・アリー・アスガル・ダストゲイブ、セイエド・アリー・モハンマド・ダストゲイブ、セイエド・ハーディー・ハーメネイー〔※アリー・ハーメネイー最高指導者の弟〕、セイエド・モハンマド・ハーシェミーなどの宗教指導者は護憲評議会に書簡をしたため、自身ならびに同志らの立場を説明し、自らの学術的資格が証明されていることの根拠を提出して、護憲評議会に対し措置を見直すよう求めた。
しかしこうした抗議が実を結ぶことはなく、「闘う宗教指導者会議」のメンバーであったり、この組織に近い立場の宗教指導者の多くが、〔専門家会議の〕選挙から排除された。その結果、テヘランでは15議席をめぐって、16人の立候補者のみが選挙戦を争うという事態になったのである。
第3回専門家会議選挙も、同様の抗議の声とともに行われ、「闘う宗教指導者会議」および〔姉妹組織の〕「ゴム神学校研究者会議」は立候補者の学術資格に対する護憲評議会の審査方法に抗議して、〔自派が推薦する立候補者の〕リストの提示を見送ったのであった。
※訳注:イランでは通常、各党派が推薦・擁立した立候補者らのリストを有権者に提示し、彼らへの投票を呼びかけるといった形で、選挙戦が戦われる。イランの選挙では、例えば5人区の場合、有権者は5人に投票することができる。そのため、各党派は5人の候補者の氏名が書かれたリストを提示し、有権者に5人全員への投票を呼びかける。
第4回専門家会議選挙では、アーヤトッラー・ハーシェミー=ラフサンジャーニーとアーヤトッラー・モハンマド・タギー・メスバーフ=ヤズディーをそれぞれトップに据えた、2つの立候補者リストが選挙戦を争い、この古くからある問題に一石を投じた。
そして今回、イスラーム革命の創始者〔=ルーホッラー・ホメイニー〕の孫であるセイエド・ハサン・ホメイニーが立候補の届け出を行ったことがきっかけとなって、25年にわたって争われてきたこの問題に再び光が当てられることとなったのである。
つづく