第5回専門家会議選挙を振り返る—ホメイニー3世の出馬(1)

2016年03月16日付 Iran 紙
ホメイニー3世

 セイエド・ハサン・ホメイニーが選挙に出馬するのではないかとの話題が取り沙汰されるようになったのは、今年〔※2015年3月21日~〕に入ってからだった。

 イスラーム革命の創始者の孫は、彼の父でホッジャトルエスラーム・ヴァル・モスレミーンだった故アフマド・ホメイニー氏が亡くなって以降、イマーム一家の庶務を一手に引き受け、また「イマーム・ホメイニー作品編集出版会」を取り仕切ってきた。

 若きホメイニーは、88年の選挙〔※大規模な抗議運動が起きた西暦2009年の大統領選挙のこと〕の前までは、政治の世界に関わることはあまりなく、少なくともメディアが彼に注目することはなかった。しかし、第10期大統領選挙後の事件があって以降、彼のごく些細な行動も、さまざまな解釈とともに、ウェブサイトや新聞紙上で取り上げられるようになった。

 イスラーム革命の創始者の孫がマフムード・アフマディーネジャードの大統領就任宣誓式を欠席したこと、アフマディーネジャード内閣がイマーム・ホメイニーとの忠誠の契りを更新するセレモニーを〔ホメイニー廟で〕執り行う際、〔同廟の管理人であるハサンが〕アフマディーネジャードを出迎えなかったこと、アリーレザー・ベヘシュティー〔※アフマディーネジャードの対抗馬であったミール・ホセイン・ムーサヴィーの選挙参謀〕をはじめ、88年の事件〔※2009年の大統領選挙後の抗議運動〕の逮捕者らの家族と面会したこと、これら一連の行動は、一方でこうした行為に批判的な者たちの怒りを買い、他方でその他のグループ〔※ミール・ホセイン・ムーサヴィー支持者や改革派のこと〕の間での彼の人気を増大させたのであった。

 この対立が最高潮に達したのは、セイエド・ハサン・ホメイニーが例年通り、イマームの命日の演説で聖ホメイニー廟を訪れた来賓らに歓迎の言葉を述べるべく、演壇に登ったときのことだった。なんと、一部の者から「ルーホッラーの孫はセイエド・ハサン・ナスルッラーだ」などのシュプレヒコールがあがり、恒例の彼の演説に邪魔が入ったのである。

※訳注:「ルーホッラー」はハサンの祖父ルーホッラー・ホメイニー、「セイエド・ハサン・ナスルッラー」はレバノンのヒズブッラーの指導者のこと。

 観測筋の見立てでは、セレモニーの式次第を計画するときのやり方や、当時の政府高官がセイエド・ハサン・ホメイニーを演壇に呼ぶ際に、彼のファミリー・ネームを言い間違えたことなどからみて、ハサンを非難するシュプレヒコールは明らかに組織的なものだったと考えられるという。そして、〔こうしたハサンを中傷する組織的行為は〕第10期政権〔※第二次アフマディーネジャード政権〕が任期を終えるまで続いたのである。

つづく


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翻訳者:MYZK
記事ID:40228