第5回専門家会議選挙を振り返る―ホメイニー3世の出馬(2)

2016年03月16日付 Iran 紙
 セイエド・ハサン・ホメイニーが初めて、選挙に対する自らの公式のスタンスを表明したのは、第11期大統領選挙〔※2013年の大統領選挙〕でのことだった。彼はこのとき、アーヤトッラー・ハーシェミー=ラフサンジャーニーやホッジャトルエスラーム・ナーテグヌーリー、改革派政権のときの大統領〔※〕らとともに、、ハサン・ロウハーニーを支持したのである。

※訳注:モハンマド・ハータミー元大統領のこと。ハータミー元大統領の写真を公式のメディアに掲載することは、司法によって現在禁止されているため、この記事でも彼の名前を直接挙げるのを控えたものと思われる。

 そして今年に入ると〔※2015年3月21日~〕、彼が政治の世界にこれまで以上に真剣に関わるようになるのではないかとの噂が聞かれるようになったのである。事実その頃から、さまざまな政治関係者や政治団体が〔ハサンと〕個人的ないし公的に面会する際、専門家会議選挙に出馬するよう彼に呼びかけるようになったのである。彼はこの呼びかけを最終的に受け入れ、専門家会議選挙の立候補受付の2日目のアーザル月27日〔※西暦12月18日〕、セイエド・ハサン・ホメイニーは国家選挙実施本部を訪れ、選挙に出馬するために立候補の届け出を行ったのである。

 この決断に対し、相対立する反応が出た。予想されたとおり、彼の支持者たちは若く人気の高い宗教指導者が立候補を届け出たことを歓迎した一方で、88年以降、ルーホッラーの孫に対して難癖を付けてきた者たちは、これまで以上に嫌みな態度で、彼の決断を非難したのだ。

〔‥‥〕

 立候補の受付が終了して数日後、護憲評議会は声明を発表し、現職の専門家会議議員を唯一の例外として、以前に試験を受けたことのある立候補者を含めて、立候補を届け出た者は全員、学識上の資格を審査するためにイジュティハードの試験を受けなければならないと表明した。

 この声明が出された直後、セイエド・ハサン・ホメイニーも試験に参加しなければならないのかどうかに関する議論が、ニュースのトップを飾るようになった。〔‥‥〕こうした中、護憲評議会からも二通りの意見が出た。第一の意見は、同評議会の報道官ないし選挙管理委員長のオフィシャルな見解であり、彼らは試験のみによる学識上の資格審査を強調した。

 その一方で、護憲評議会のイスラーム法学者委員で試験官の一人であるアーヤトッラー・モオメンをはじめとする一部の者は、以前用いられていたその他の手法を通じても、立候補者のイジュティハードの能力を審査することは可能だとの見方を示した。

 こうした紆余曲折を経て、イジュティハードの筆記試験が実施されたが、セイエド・ハサンをはじめ、アーヤトッラー・アムジャドやムーサヴィー=ボジヌールディー〔※故ホメイニーの弟子〕、マジード・アンサーリー〔※現議会担当副大統領〕、モスタファー・プールモハンマディー〔※現司法相〕、モルタザー・アーガーテフラーニー〔※保守強硬派の国会議員〕、ラスール・モンタジャブニヤー〔※改革派系の政治家〕などの著名な立候補者たちは、結局試験を受けずじまいだった。

 こうした決断の結果、彼らの立候補資格は認められず、それに対するその後の抗議も実を結ばなかった。こうして最終的に、護憲評議会はイスラーム革命の創始者の孫の立候補資格を認めないことが確定したのである。

つづく


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翻訳者:TKM
記事ID:40229