Ahmet Hakanコラム:まったく新しい、今までと違う、すばらしいことが起こっているのかも

2016年07月25日付 Hurriyet 紙
分離主義、分裂、先鋭化といった大きな問題が解決するのかも・・。
国民は、民主主義で団結しているのかも・・。

7月15日以前のパラダイムは、公然と、そして公式に崩壊しようとしている。もはや、皆が新しい何かを言わなければいないかのようだ。
反対派におけるタイイプ・エルドアン大統領への憎悪は徐々に減っているのかも。
タイイプ・エルドアン側の反対派への憎悪も同じように減少しているのかも。
エルドアン大統領は、全国民を安心させるような会見を行っている。
ビナリ・ユルドゥルム首相は、全国民を庇護するというテーマについて当初から持っていたビジョンをさらに強めている。
大臣たちは、自由企業の重要性を強調し、国民に基本的な権利について保障し、良識を主張する。彼らの口からはハチミツが滴るように素晴らしい言葉があふれている。

野党が「クーデターを見過ごす」ような性根ではなかったこともはっきりと分かった…。政権と野党の間の信頼に関する問題は徐々に消えているのかも。
7月15日より前は互いを傷つけようとしていた者たちが、今はお互いに抱き合っている段階になるのかも。
トルコは乱闘するのではなく、困難に対して団結することに成功したのかも。
通りで怒りを前面に出すグループは消え去り、良識と威信ある集団が現れたのかも。
喧嘩や衝突、争い、報復、憎悪を扇動する者たちは、着実に縁に追いやられているのかも。

メディアは、民主主義を支持する態度を取り、責任ある放送機関としての一線を守り、メディア間のライバル心を「クーデターに対して誰が一番抵抗したか」という点に転じていた…。最近の最も価値のある日々を送っているのかも。
OHAL(非常事態宣言)を否とした野党議員で、「国民の裏切り者」あるいは「クーデターの協力者」などと責められた者は誰一人としていなかったし、今後も責められることはない。野党は今や合法のものとみなされているのかも。
昨日までは「ここから素早く逃げよう」という心境にあった、希望がなく暗かった場所に、明るい笑顔が見えるのかも。

要するに…
7月15日以前、私たちは、互いの首を絞めようとしている状態だった。
7月15日の終わり、私たちは、内戦になるかもしれない大きな悲劇に対峙した…
そして今日、7月15日以前にまして、我々は良い状態にある。

私は3つのことだけを伝えようと思う。
第1に、私がこの身を捧げる神は、果てしなく慈悲深い。
第2に、私たちに災難を放ってくれて「サンクス」、フェトフッラー!君のおかげでモーターを青に塗るという憧れが現実になりそうだ。
第3に、周りを見なさい。誰であろうと、我が国で少しずつ出来上がっている良い雰囲気を壊そうとしているなら… その人はフェトフッラーの潜在スパイだ。


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翻訳者:新井慧
記事ID:40944