ジャン・デュンダル編集長離職、別れのメッセージ

2016年08月15日付 Cumhuriyet 紙

 一年半前、昨年の2月にジュムフリイェト紙の編集長となって以来、これまでの人生で経験したことのないほどたくさんのことが、私の身に降りかかってきた。

 攻撃、拍手喝采、脅迫、スケープゴート。訴訟、拘束、刑務所。隔離、有罪判決、銃撃。誹謗中傷、賞、新たな捜査、通常の諸裁判。この頃の厳しい抑圧と我々の新聞記者業に対する熱意とのぶつかりあいによるつけ。身を屈しない誇りに課された対価。

 7月上旬、私は社から短い休みをもらった。この激務に消耗しきっていたので、少し休んで執筆に携わり、そして仕事に戻ろうと考えていた。

 その時、7月15日が来たのだ。

 血みどろのクーデター未遂は、我々の長年の警告がいかに深刻だったかを示した。政府はやっと、我々の言うとおりにした。

 しかし蓋を開けてみるとどうだろう。ギュレン派との蜜月関係のツケを我々に支払わせようとしている。「狡猾さ」を地でいき、彼らがギュレン派とかつて手を組んでいたことを忘れさせ、この機会を利用して反対派から免れようとしているのだ。

 クーデターの直後に彼らがとった具体的な行動は、少なくとも私に関するいくつかの意図を明確に示した。

■拘束の準備

 7月16日、つまりクーデターの翌日、我々の3か月の拘置期間を終了する決定にサインした高等裁判官たちのうち2人が拘束された。

 同じ日、5年10か月の有罪判決を検討するはずの最高裁でも捜査が始まった。140名の最高裁関係者について取り調べが行われ、11人が拘束された。

 その10日後、我々に対して二度終身刑を要求した(そして死刑復活を容認する)検事が、イスタンブル共和国首席検事に指名された。

 その2日後、第14重罪裁判所は、国家諜報機関の国際輸送トラック事件に対して開いた「支援・アジト」裁判を理由に、エルデム・ギュル記者と私のパスポートを差し押さえるよう治安当局に書類を送った。

 これらすべての兆候は、新たな口実を設けて、新たな不当で長期にわたる次なる逮捕を準備しているのを示している。いつ終わるのかもわからない非常事態体制は、政府が司法を好きなように操作することを可能にする。

 このような中で司法を信用することは、ギロチンに首を差し出すようなものだ。我々の前に座るのは裁判官ではなく政府だということになるだろう。どんな不当な判決が出されようとも、上級の裁判所から異議が出ることはまずないだろう。

 そのため、少なくとも非常事態宣言が解除されるまでは司法に身を任せることはしないと決めた。

■新たな陣地

 本来裁かれるべき罪人どもは明らかであり、協力者は政権自身だというのに、彼らの罪を着せられた人たちが刑務所に入れられるというのは大変な不公正だ...。我々は必ず、これに対して抗議を続けていく。

 大切なのは、いつどこでどんな状況にあっても、不正・不当行為に、抑圧体制に対し、常に毅然たる反対を示すことができるということだ。より自由な国[になること]をめざし、絶えず戦い続けることだ。

 次のステップで我々が目指すのはこれだ。我々の声はこれまでより厳しく響き渡るだろう。敵を喜ばせてはならない。友よ、悲しむな。

■抵抗する最後の砦

 このコラムのコーナーで初めて執筆した際に「自由な報道にとっての最後の砦の一つで、歴史的な役割を任せられた」ということを書いた。

 この一年半が、私のキャリアにおいて最も誇れる時期であったことは間違いない。

 新聞を共に出してきた仲間たちとは、共に裁判所の門の前で待ち続けた日々もあれば、爆弾の強迫に耐えた日々もあった。共に喜び、誇り、悲しんだ。メインニュースを決める見出し、途切れることのない賞、賞賛、釈放、声を届ける我々のニュースを共に祝福した。

 少しも恐れることなく、くじけることなく、一歩も引かずに、わが身を犠牲にしながら、共和国たる世俗的、民主的、自由なトルコのために戦うという伝統を継続し、押し進めようと努力してきた。

 この中で我々が成功したことへの正当な評価は、あなた方、誇り高き同僚たちが享受すべきものだ。失敗したことの責任は私にある。

 だが覚えていてほしい。多くの報道機関が政府寄りの路線に引き入れられ、いくつかは自ら進んで降伏したというこの厳しい抑圧の時代に、「自由な報道の最後の砦」を正しく守ろうと、通信機関の名誉を守ろうと、新聞記者業を生かそうと尽くしてきた。

 我々を信じ、肩を貸してくれた方々、惜しみない援助を下さった方々、共に抗ったジュムフリイェト紙の仲間たち、財団関係者、読者の皆さま、お茶係から特派員の方々に至るまで、心からの感謝の意を伝えたい。

 このチャレンジのことを、死ぬまで忘れるつもりはない。

 ジュムフリイェト紙では、コラムニストとして執筆を続けていこうと思う。

 編集長の役目を受け継ぐ同僚は、この旗をさらに先まで運んでいくことだろう。

 どんなクーデターや圧政の時代であろうとも、それらは必ずうつろい行き去った。しかしジュムフリイェト紙と新聞記者という仕事が終わることはなく、終わらせられることなどないことを、我々は共に目にすることになるだろう。


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翻訳者:今城尚彦
記事ID:41061