23年前〔※ママ。正しくは22年前〕のシャフリーヴァル月9日〔8月31日〕のこと、1頭のメスのチーターが3匹の子どもとともに、喉の渇きを癒すためにヤズドのバーフグにあるヤシ園に入り込み、事情を知らぬ住民らの攻撃に遭って死んでしまうという出来事があった。2匹の子どもは棍棒や石で強く打たれて即死した。残りの1匹は瀕死状態で環境保護官の手によって救助され、テヘランに移されたが、その9年後、病気のためパルディーサーン公園で命を落としている。
惨劇の舞台から〔子どもを置いて〕逃げ出さざるを得なかった母チーターも、しばらくの間、子どもたちを探しにバーフグの近くにいたが、子どもたちの行方は分からずじまいだった。イランのチーターたちを襲ったこの大量殺戮は、10年と経たぬうちに、バーフグ県で再び繰り返されることになる。そのときはなんと、一人の羊飼いによって、チーターの子ども3匹が焼き殺されてしまったのである。
他方、国連開発計画、および地球環境ファシリティ(GEF)による国際的な資金援助によって、イラン・チーター保護計画が1380年〔※西暦2001年〕から始まっている。しかし国内外の専門家らの努力の一方で、この15年間のイラン政府による支援は最小限のものにとどまっている。こうした中、自然愛好者たちは環境保護のNGO組織を複数立ち上げることで、管轄の政府機関をはるかに上回る活動をみせている。例えば、国連や〔GEFからの〕小規模グラントプログラム(SGP)の資金援助のもと、チーターの生息地付近にある村落を対象とした、啓蒙活動のための数多くの計画が、環境活動家たちによって行われているのである。
市民によるチーター保護の呼びかけと大統領への願い
イラン・チーターをめぐる状況が危機的なものとなり、メスの個体が著しく減少するなか、イラン・チーター協会は現在、世界一のランナーであるチーターは間違いなく滅亡するだろうと警鐘を鳴らしている。〔チーターが危機的状況にあることを訴えるための〕ウェブサイトcheetahday.comの公開によって、イラン・チーターの保護に向けた市民による呼びかけが、今朝より一ヶ月間行われることになっている。〔‥‥〕
モルタザー・エスラーミー氏は、次のように述べている。
もし今という機会を最大限利用しようとせず、〔チーター保護に向けた呼びかけ活動は〕来年にでも始めればいいなどという考えでは、すでに遅すぎるのです。イランのチーターは、イランのトラやライオンのように、記憶の中だけの存在となってしまう可能性があるのです。