Ismet Berkanコラム:作るしかないないなら、まともな大統領制を
2016年10月21日付 Hurriyet 紙
民族主義者行動党(MHP)のデヴレト・バフチェリ党首は、今週と先週、大統領制の出口を明らかにした。
私の理解では、デヴレト・バフチェリ党首はMHPが受け入れられる類の変更のある提案がくれば、これを国民投票に諮るために必要な支援を行うと語った。
つまり、国会はこの先真摯に憲法改正法案のために動くということだ。
現時点で、こんな問題が出てくる。公正発展党(AKP)はどのような大統領制の提案を持ってくるだろうか?AKPは、大統領制を示すのか、それとも政党に結びついた大統領制なのか?
大統領制と呼ぶもののために、我々の憲法の根幹をなす「共和国の基本組織」を明記する第三部分をほとんど完全にいじる必要がある。この部分は立法、行政、司法組織の働きを明記する最も重要な章の一つだ。つまり、権力の分立体制とあらゆる権力の限界はこの部分で定められている。
■少なくとも計50の条文が変わるべきだ
トルコ憲法の75条から始まるこの重要な部分は、第160条で終わる。つまり、計85条のことである。この85条のうち少なくとも計50条について大統領制に沿って変える必要がある。でも、国会で現在の見られるAKPとMHPの妥協はこの50条のために行われるだろうか?トルコはこの50条が審議される、まったく短くない時期の緊張に耐えられるだろうか?
このような懸念を抱いて行動するAKPは、大統領制の代わりに計5-6条の変更からなる政党大統領制のモデルを目指すだろうか?
私は目指すと考える。しかし、この記事のテーマはそれではない。大統領制だ。
■共和人民党(CHP)と国民の民主主義党(HDP)は「ノー」以外に何ができるだろうか?
トルコは後退も非常に難しくなる形となる政体変更を模索する中にあって、この変更が世論に諮られる可能性はそれほど先のことでないなら、なぜ我々はこの変更を民主主義にもっと近づけるか、もっと良い構築物を含む、そして広い層を包括する妥協に依拠してことを行わないのか?
大統領制のために少なくとも計50条が変わる際に、CHPとHDPは全く貢献をしないのだろうか?気に入らなくとも、提示された条文をもっといい状態にするために努力をしないだろうか?
実際は、以下のとおりだ。トルコの今日我々皆が批判する政治的問題と民主主義の欠如の全ての根本には民主的な権力の分立のシステムをもたないことが横たわっている。
■チェック・バランスの民主主義であるべきだ
1982年憲法は、行政権を行使する政権が、軍にルーツを持つまたは国家イデオロギーの中核からくる人物であると見込んでいる大統領、大統領でも不十分な場合には憲法裁判所、行政裁判所、直接軍によってバランスを取られることを想定したシステムを生み出した。
しかし、[上記の]司法と軍の後見[体制]は、市民に説明を要する民主主義制で通用すると認められない。司法が、イデオロギーではなく、法的な監督をおこない、これに対し行政が基本的に立法によりバランスを保つ体制に移行する必要がある。
議会制は、行政が国会の多数に依存せざるを得ないため、当初からチェック・バランスのメカニズムを損なっている。そのため、厳密な権力の分立もたらす、つまり立法と行政の後援/保護関係を壊す大統領制は、我々にとって本当にいい解決策となりうる。
しかし、導入される大統領制がこのような厳密な権力の分立を含み、国会に相応しい力と権限を取り戻すことが必要である。
これも与党が自身の要望でなんら努力をしないであろうから、野党がこの国で民主主義を実現するために貢献する必要がある。
■CHPとHDPが求めた時点で「ノー」と言える
もう一つ述べよう。我々は大統領制に向かっているなら、この変更を民主主義の欠如をなくす形で行おう。
CHPとMHPをはじめ野党は、大統領制を提示された際には、闇雲にノーという代わりにこの改正を修正しようとするべきだ。与党が修正しない時点ではじめて「ノー」と言えるのである。
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翻訳者:矢加部真怜
記事ID:41459