AliSirmenコラム:アタテュルクとケマリズム

2016年11月11日付 Cumhuriyet 紙
ムスタファ・ケマル・アタテュルクが死去してから78年、ケマリズムに対する苛烈な攻撃は更に強まった。共和国と世俗主義の不倶戴天の敵が、独立戦争の指導者をイギリスのスパイだと告発するほど熾烈に攻撃した理由は理解できても、血迷い、結果としてあらゆる後進性を助長する羽目になっている口先だけの左派の言う理論はとても理解できるものではない。

ムスタファ・ケマル・アタテュルクの人生は、大成功を収めた優れた「無二の人」の物語ではない。それは、皆がもう駄目だと思った時に戦い、国を興し、伝説の霊鳥シームルグのように自らの灰の中から生まれた社会の、100年の蓄積、戦争、覚醒、啓蒙の物語である。

あらゆる善悪を彼に帰すことは、社会の否定、歴史についての無知を意味するだろう。
我々が受け容れ、擁護してきたのは、社会的栄光であって神格化された人間ではない。
彼は社会的栄光の指導者でありシンボルであるから、アタテュルク(トルコ人の父)と呼ばれるムスタファ・ケマルは、我々の歴史における最大の革命家なのだ。
奴隷から国民を、個人を、ウンマから国を興したことは革命である。
彼は、この革命の指導者であり、(彼を)あらゆる革命家と同様に位置づけることは自然なことだ。

まず、祖国解放戦争の間、米国メディアはケマリストという言葉をケマルの部隊という意味で当初使っていたが、やがてムスタファ・ケマルのイデオロギーの意を指すようになった。しかしながら、ケマリズムは、普遍的価値観やイデオロギーではない。国家概念、世俗主義、共和国、平等、表現の自由、啓蒙は、ケマリズム特有のものではない。
ケマリズムは、祖国の救国を、遠い過去に残された秩序の絶望的な復活にではなく、未来の新たな秩序に求めた。ルネサンス改革や啓蒙思想、フランス革命の成果や秩序が初めて西洋・キリスト教世界以外でも獲得され、そこでもこの秩序が根ざすことを予見した革命的行動である。そして、その中から生まれた社会の、1世紀に渡る蓄積の結果なのだ。
ケマリズムがイデオロギーではないことは、人間性の観点からその重要性を減ずるものはない。それとは逆に、ケマリズムは、存在すると考えられる人間の共通する価値観や成果の普遍性を試すリトマス試験紙なのだ。

ケマリズムが成功を収めれば、人間性が上位に位置づけられる秩序があらゆる社会で通用することが証明され、共通の普遍的価値観を以て社会や人間が出会い、一体化し、団結するという希望が強まるはずであった。

そうでなければ、一部の人間には通用するが、それ以外の社会にも受け入れられ、適用される価値観なのかどうか、議論を経て結論が出されるはずだった。

トルコのEU加盟は、この観点でアプローチすべきであった。もし、トルコがあらゆる秩序や成果を取り入れ、欧州と同等の権利をもってEU加盟国になることができていたら、ケマリストは異議を唱えると同時に欧州の価値観や成果の勝者となっていただろう。なぜならば、ケマリストはこの価値観の普遍性を声高に叫んでいたからだ。

残念ながら、トルコのEU加盟が真剣に議論されていた、あるいはそのように見せかけられていた頃、欧州はこれに気づいていなかった。そしてムスタファ・ケマル支持者の国では、ケマリストを信奉する政権がなかった。それどころか、トルコではケマリズムを歴史に埋もらすことを誓う者たちが政権の座に就いたのだ。

アタテュルクに関する書籍は膨大な数に上るが、その中でも最新作を奏した作家アンドリュー・マンゴーは、ムスタファ・ケマルの試みが成功したか否かは未だ不明であると述べている。その通り、これは今もわかっていない。分かっているのは、ケマリズムの成果が勝利だろうと敗北であろうと、これは国家規模を超える普遍的意味合位を持つということだ。

本日11月11日、ムスタファ・ケマル・アタテュルクをこのように偲ぶ。


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翻訳者:山根卓郎
記事ID:41579