Murat Yetkinコラム:ISに、世俗派・イスラム派の区別なし
2017年01月04日付 Hurriyet 紙
新年の最初の時間でのレイナ襲撃を、殺人を「当然」と喜びを感じるまでに盲目な人以外すべては衝撃を受けた。
だが、公正発展党(AKP)政権と党執行部は違う形で衝撃を受けた。なぜならイスラム国(IS)のこの行為は、ちょうどヌマン・クルトゥルムシュ副首相が1月2日に閣議のあとに述べたように、以前の事件とは全く違っていたからだ。
以前の事件はどのようなものだったか?見てみよう。
ISが2015年10月10日アンカラで平和集会のために駅前の集った人びとを襲い、103人を殺害し、何百人もの人びとを負傷させた際に、密かにこれが左翼とクルド主義者を標的としたと語る者もいた。
ISがスルタン・アフメトでドイツ人観光客を、イスティクラル通りでイスラエル観光客を標的にした際も、あたかもトルコで、またトルコ政府が弱いことを示したが、実際は「別のものたちを」標的とした行為であった。
さらに、「ユーフラテスの盾」作戦の直前の2016年8月にガジアンテプで攻撃した際、「(その時)クルド地区であったようだ、結婚式」と呟く声が聞かれたのか、そうでなかったのか?
しかし、政府の報道官が言うには、今回は違うらしい。違いは単に自殺攻撃でないこと、つまりその手法ではない。以下のようである。
1、 新年の最初の時間で襲撃し、効果を高めるメッセージを与え、2017年もこういうテロを続けていくことを示唆した。
2、 ISは「ユーフラテスの盾」作戦で追い込まれており、それに対する抗議をこのように示しつつ、トルコをとどまらせようとしているが、トルコはとどまらなかった。
3、 ISはこのテロ行為を通じて「残念ながらトルコ国民の間にある生活スタイルを通じ、信仰の違いを通じ、諸宗派を通じ分裂を促そう」としており、「加えて、残念ながら一部はSNSを通じて行われているこの種の無意識な、バランスを欠いた一連のプロパガンダ」も国民を分断することにつとめていた。
根本を見れば、最初の2つは断つことができない理由ではない、つまり攻撃の継続とシリア作戦への抗議なのである。
根本をみるなら、違うのは3番目である…。
3番目の行間を読めば、以下のような分析が浮かび上がる。
1、 ISは新年を楽しむことを襲った。新年の祝賀は、実際に反対をメフメト・ギョルメズ宗務大臣からジュベリ・アフメト教師まで、今名前を挙げて、反論を生むことを望まない新聞、テレビ関係者までと、彼らが異なるトーンで説いて、ネガティブな雰囲気が生み出されたという問題である。生活スタイルの強調はそれである。
2、 襲撃されたレイナは、一般勤労者層の財布では十分ではなく、テレビの芸能番組でのみ目にできる場所であり、そう、社会心理学的点からリスクの高い標的である。つまり、階級的な様相を加えようとしている。
3、 まだ攻撃の煙が上がっている中、遺体が冷たくなっていない中、SNSで[レイナで]働くものすべてがアレヴィー派であると述べるのを始め、(新年をクリスマスとごちゃ混ぜにして)キリスト教徒の楽しみに参加した者の末路に触れる「[事件を]当然」とするメッセージであり、クルトゥルムシュ副首相が言ったことである。信仰、宗派への言及はこのことを基にしている。
ISの殺戮を、トルコ社会の中の誰かが、おそらくあなたが乗っているタクシー、オレンジを買った八百屋、職場の仲間、そして我々の中の誰かが興奮し支持したことは、AKP政権を率直に言うと震撼させた。
ISが首を切るビデオを広めている中、8%の割合で支持があるとする世論調査を思い出してほしい、そう彼らである。
それゆえ、政府はレイナ襲撃がこの層に武器を用いたプロパガンダが影響するのを、過激な層が組織に参加するための宣伝効果となることに戸惑っている。これは、残念ながら新たな致命的なテロのための新兵徴集を意味している。
さらに何があるかおわかりですか?
元々、かなり前から明白であったが、アンカラで一部の目はよく見開かれ、この攻撃によってもう見ないふりは不可能な状態にまで来た、つまりISが殺す際に、世俗的な人、もしくはイスラム教徒、もしくはキリスト教徒、貧富も区別していない。
信仰上のイデオロギー的強迫観念でもって世界を自他で分断している。
つまり、ISの目には、タイイプ・エルドアン氏とバラク・オバマ氏、ケマル・クルチダルオール氏とアンゲラ・メルケル氏、メフメト・ギョルメズ 氏とフランシスコ教皇、ウラディミル・プーチン氏とアーヤトッラー・アリ・ハメネイ氏との間に違いはないのだ。ISの目には皆異教徒であり、死に値するのである。
トルコはアル=ヌスラとISを、以前ISが出現した2013年にテロ組織としたが、しかし実際には当初は過小評価しており、何であるか理解していなかった。
アンカラの優秀な頭脳の者たちは、シリアを見るときムスリム同胞団のみを見ており、助けると彼らがバッシャール・アサド政権を倒せると考えていたのだ。
エジプトのムスリム同胞団政権がクーデターで倒れたことで、最初にばらばらになったのがシリアのムスリム同胞団であったのを理解できなかった。
離散したムスリム同胞団が、アル=ヌスラとISとほかのサラフィー・ジハード組織に参加するペースについていけなかった。
AKP政権関係者たちはいまだ、西側の不公正さに抗う、怒れる信徒の若者らなどに触れている。
国境を超える怒れる若者たちを暫く大めにみた、双方の国境に移ることも、ここで軍事教育を受ける者たちの中にヌスラ戦線、ISのメンバーがいるかと考えるのがなぜ遅れたのか。
外国人テロリスト戦闘員の問題は当時とても議論された。トルコを通ってシリアに行き、それから西洋諸国へテロのために帰ってくる者たち。
トルコから行って、トルコに帰る者は全くいなかっただろうか?
アンカラでウマイヤ・モスクで金曜礼拝すると唱え続けられる一方、IS戦闘員達は、トルコにいるアルカイダの戦闘員をも隊列に加えて組織化されていた。例えば、アディヤマンで現れた諸細胞がそうである。
特に、2014年6月にトルコで在モースル領事館が襲撃され、ISは、ただ単にイスラム教徒がいる国であり、信仰厚い人が統治している、とトルコを特別視していないのを示した。
また、ISへの見方は、モースルとともに変わり始め、アンカラはISを軽んじ始めた。
しかし、様相は、ISがトルコで広く行動を行い始めたことで全く変わった。
これらの行動は、トルコがインジルリキ空軍基地をアメリカ率いる対IS連合に開放した後に始まった。目的は、トルコにISへの「敵対」行為を思いとどまらせることである。
興味深いのは、クルディスタン労働党(PKK)も同時期、2015年7月中頃に3年間も対話を理由に中断していた攻撃を再開したことである。
率直に言って、トルコの対シリア政策は2015年11月24日にロシアの飛行機を撃墜したことで終わった。
新シリア政策は、2016年6月26日にイスラエル、6月27日はロシアと国交回復宣言で始まった。
その間、シリア政策の -真の政治的責任者ではないが、政策立案・構想者の- アフメト・ダウトオール前首相がエルドアン大統領と会談を行ったあと、自発的ではないが辞任したのを目にした。
破綻の一端は7月15日のクーデター未遂の後8月24日にシリアで軍事作戦が始められたことである。
ISのトルコ国境との最後の結びつきが崩れる一方、アメリカの支援を受ける民主統一党(PYD)/PKKがそこを手に入れるのを阻止しようと努めた。
これはゲームの規則を変えた攻撃となった。
しかしISは、トルコへの大きなテロの脅威、敵と見なされたにも拘らず、依然、政府の目にはPKKもしくはフェトフッラーテロ組織(FETO)同様の実在する脅威ではなかった。つまり国民もしくは領土を分割する目的と能力をもつと見られていなかった。
レイナのテロで、それが見られた。
ISは2017年1月1日時点で、アンカラにとってすでに敵であり、PKKとFETO同様に実在する脅威である。これは、内政で、憲法改正の過程で確認される事になろう。
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翻訳者:西田夏子
記事ID:41888