故スレイマンオールの日本人「妻」の子「ナオミ」は今、どこに?
2017年11月25日付 Hurriyet 紙
故ナイム・スレイマンオール氏の家族は、この伝説の重量挙げ選手の日本人の娘を探している。家族は、「彼女にも相続の権利がある」と述べている。
ナイム・スレイマンオール氏の家族のこの捜索を、ハベルチュルク紙のムハッレム・サルカヤ記者が記した。サルカヤ記者の記事は以下の通り。
夜電話が鳴った時、このような話を聞くことになるとは思ってもいなかった。重量挙げ連盟の元副会長で友人のゼキ・チュルケシュ氏が、「君にナイム・スレイマンオールについて1つ頼みがある」と話し始めた。
チュルケシュ氏は、ナイム・スレイマンオール氏の家族以外で唯一の近しい人と言える…。
トルコでの生活の大部分を見守り、訃報を受け取ると中国から戻って葬儀を自ら執り行った…。
彼は、彼自身の頼みでもあり、スレイマンオール氏の家族の頼みでもあることを話した。
「知っての通り、ナイムは結婚していなかったが、3人の子供をもうけたパートナーが1人おり、さらに日本人のパートナーとの間に4人目の娘がいる」と話した。亡くなる少し前に、2人の新聞記者に語ったルポルタージュで説明したことを明かし、当時の次のような言葉を語った。
「私は結婚しなかったが、認めよう。私には子供がいる。私の名字を持つ子供が、4人!3人の娘は母親が同じで、トルコで母親たちと一緒に暮らしている。もう1人も外国で母親と暮らしている…。」
対話の中で彼は、「私は結婚の署名を紙にではなく、自分の心に記した」と言っていた。
トルコに暮らすパートナー(ハティージェさん)の娘、ニライさん、エスィンさん、セズィンさんのことを、世論は、葬儀で父親を最後の旅路に送り出すときに知った…。「ナイムの兄弟と娘たちは、日本の姪であり姉妹である人との接触を望んでいる。知り合って会いたいと望んでいる。しかしどうやっても接触することはできなかった…。」
これほど求めている理由は、ナイム氏の姉妹であるムハッレム・スレイマンオールさんが話してくれた。
「最近は日本にいる娘にとても焦がれていた。いつも彼女のことを話していた。私たちは知り合いたいと望んでいる。さらに、彼は資産を残した。誰かの権利は誰かに移すべきではない。彼女も父の遺産を受け取る権利がある…。」
感情の細胞が疼き、声が震えた…。
ゼキ・チュルケシュ氏は続けた。
「娘の小さい頃の写真が残されている。母親の名前もわかっている。日本の新聞記者らしい…。」
その後、彼らがどのように知り合ったのかについて情報を共有した。
ソウルオリンピック(1988年)を日本の新聞を代表して観るため訪れた若い新聞記者のモリ・カヨコさんは、世界大会で9つ、オリンピックで6つのメダルを取ったナイム・スレイマンオール氏とのルポルタージュも行った。
彼らは互いを気に入り、オリンピックの間中何度も会っていた…。
モリ・カヨコさんは、ナイム・スレイマンオール氏の「一緒に暮らしたい。私とトルコに来てくれないか?」との申し出を受け入れ、トルコにやってきた。
生年は明らかではないが、モリ・カヨコさんとアンカラでともに暮らしていた際、1990年かおそらく1991年に1人の娘が生まれた。
モリ・カヨコさんは、アンカラの大きな産院で出産した…。
娘の名前はナイムを思い出させる「ナオミ」にした…。
結婚してなかったため、名字は母親のものになり、記録上は「モリ・ナオミ」さんとなった…。
モリ・カヨコさんは、更に2年間ともに暮らしたあと、1993年に嫉妬から口論になった結果娘を連れてトルコを離れた。
その後トルコに戻ることはなかった。
ナイムの笑顔と面影のあるナオミさんの写真が残された…。
現在、ナイム・スレイマンオール氏の兄弟と娘たちは、残された命とモリ・カヨコさんとの接触を望んでいる…。
残された遺産は彼女にも権利があるとし、「誰かの権利は(他の)誰かに移すべきではない」と言っている。
今私がわかったのは、ナイム・スレイマンオール氏は正しい道を歩く一方、世界メダルとオリンピックメダルだけではなく、誇り高く模範となる兄弟と子供たちを残して逝ったということだ…。
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翻訳者:永山明子
記事ID:43846